ten1kokuさん・・後から 弁明 されても・・

ten1kokuさん、コメントありがとうございます。
コメントより
>統一教会には・・
「アベルが カラスは白い と言えば、カラスは白」
・・・
文先生が何故、そうしなかったのか・・
何故、ご自身で 「復帰の大原則 アベル・カイン」をその場で
示さなかったのか・・


答えは、簡単です。


「復帰の大原則 アベル・カイン」は、「アベルが カラスは白い と言えば、カラスは白」


と言う意味で捉えることではない、ということです。


文先生の教えは、愛による自然屈服です。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



>>・・? ? ?
あの~
良く分からないのですが・・
「復帰の原則 アベル・カイン」は 愛による自然屈服 ということですが
具体的には・・どうすれば良かったのでしょうか?


多分・・
あの時は・・誰も答えがわからなかったのではないか と思います。


朴先生も、教会も、教会員も。


誰も、原理的に解釈できる人がいなかったように思います。


  * 朴先生はどうすべきだったのか。
  * 教会はどうすべきだったのか。
  * 教会員はどうすべきだったのか。


を説明できる人はいなかったように思います。


ただ・・
写真はウソ・・と言うことだけが 真実 として、伝わってきていました。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


そのときの事を考えると・・
私も、不思議に思っています。


どうして・・あの時は・・誰も・・
「文先生を信じましょう」
「文先生が否定していないのです。まずは、否定されるまでは信じましょう」
と言う人が・・いなかったのか・・


それに、朴先生も不思議ですよね。
何故、文先生に確認を取られたのでしょうか?
わざわざ・・ウソであることを尋ねる必要など・・なかったこと。なのに。
   普通であれば・・
   文先生に信仰を立てて黙っていれば良かったこと。
   「文先生のウソは私が墓場まで持っていく」
   そのような信仰を何故、立てることができなかったのか?
本当に不思議ですよね。
み言葉は十分すぎるほど理解しておられたはず・・なのに・・
何故・・信じ切ってあげることができなかったのでしょうか。


?・・
ですが・・


ten1kokuさんは 違っておられたのでしょうか?


?・・
もしかして・・
Ten1kokuさんだけは・・
戦っておられたのでしょうか。


  「誰が何といっても、私だけは文先生を信じます。
   皆さん、文先生は正式には否定しておられません。
   今こそ信仰を示すときではないでしょうか。
   絶対信仰で、乗り越えましょう」


と、声を挙げておられたのでしょうか?



それとも・・
あの時は黙っていて・・
後になってから・・


「たいしたことではありません」。
「文先生の功績を考えれば、小さなことです」と・・今になってから
言われておられるのでしょうか?
もし・・そうであるとしたら・・
それは・・少し・・卑怯ではないでしょうか?



あの時は・・
多分・・
文先生からすれば・・四面楚歌状態だったのではないでしょうか。
   文先生が「この写真は私だ」と言ったのに、
   誰も信じず、教会からは写真が消え去り、
   最後には側近中の側近である朴ポーヒー先生から
   「写真は先生ではありませんよね」と、確認を取られてしまったのですから。
まさに、文先生にとっては・・「ブルータスお前もか」のような状態だったはず。



それとも・・
ten1kokuさんとしては・・
もし、自分がその場にいたなら・・
弟子から問われて・・ウソを告白しないといけない・・
そのような追い込まれた状態だった文先生をお支えすることが可能だった
ということでしょうか。