「天のお父様、真の御父母様・・」・・まるで 開けゴマ

現実世界に戻ってきてからも考えたことは・・
「御父母様の聖名」を唱える・・その意味でした。
  (始まりは文先生からでしたが・・その時には神様から出された・・
   宿題(命題)・・そのように・・捉えていました)



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統一教会に来るまでの私の祈りは「神様・・」からでした。


それを「天のお父様、真の御父母様・・」と、祈り始めるようになったのは
友人に誘われて教会の日曜礼拝に参加した事からでした。


  礼拝の前に代表祈祷があって誰かが
  「天のお父様、真の御父母様・・・」
  と・・祈りはじめました。
  私にとってはその言葉がとても新鮮に聞こえました。
    なにより神様に「お父様」と呼び掛けていることが
    (神様という遠い存在ではなく・・お父様という親しみの言葉)が
    私には 衝撃 でした。
    (正直・・自分もそのような間柄で祈りたいと思いました)


それから後に参加したセミナーで初めて
「天のお父様、真の御父母様・・」と祈ることになりました。
その時私は不思議な体験をすることになりました。
それは・・
「神様に通じた」・・という実感でした。
しかも今まで祈ってきたのとは違い、神様をとても身近に感じることが
できたのでした。


それで私は「ここは違う」と思い、統一教会に来ることを選んだのでした。


そしてその後の信仰生活でもその時の祈りが役に立ったようで
(祈りが通じるという実感があったので)
祈祷で苦労することはあまりありませんでした。
しかもアベルからも・・私の祈祷は喜ばれていたようで・・
よく代表祈禱に選ばれました。
直接「あなたの祈祷はいいね」と褒められたこともありました。




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ですが・・
多分・・


  私は祈りによって
  神様の世界に行ったのではなく・・


「天のお父様、真の御父母様・・」
と、唱えることにより
自分の世界(自分の霊的な世界)に行き、 
そこに 文先生専用 の門を作り、
文先生ワールド に通ずるトンネルを作りだしていたのだと思います。
 (自然にできた洞窟ではなくトンネル(人工物)だったのにも
  意味があったようでした。
  自分が作った(人工物)という・・ことへの納得になりました)


そしてその後の長い信仰生活で
何万回も唱えてきた「真の御父母様」という言葉は・・
まるで・・門を開ける(開けゴマ)という 呪文 のような言葉になり
私は・・私だけの世界で
その呪文を繰り返すたびに
さらに頑丈で強固な 門へ トンネルへ と文先生ワールドを
作りあげていったようです。