最後の記事・・その2

イエス様にお逢いして「その者とは関係ない」・・
そう教えられていながら・・ 
文先生と決別できない自分・・


普通は・・
「百聞は一見に如かず」で自分が経験したことの方が上にくるはずなのに・・


私の・・マインドコントロールは解かれませんでした。



理由は・・
私が
 祈りの言葉・・「天のお父様・真の御父母様」 に
何らの 疑い を持っていなかったので使い続けていた故だったと思います。


 (多分・・
  最初にその言葉で祈った時に「天に通じた」という実感があったことと、
  長い信仰生活の中で何千回・何万回と
  「天のお父様・真の御父母様・・」と唱え続けてきたので
  習慣化 されていた・・ということだったのだと思います)


正に・・マインドコントロール恐るべしです。




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マインドコントロールのカラクリが理解できた時・・


神様は私の問い(本物か偽物か)に答えてくださいました。
「そのことであなたは私に問う必要はない。貴方は答えを知っている」と。


まるで・・目から鱗 のようでした。
「そうだ・・自分は知っていたはず・・それなのに・・」と。


それから・・やっと・・
文先生を 偽メシヤ として決別することが出来るようになりましたが


決別できるために一番の力になったのが


イエス様の存在でした。



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多分・・
あることを・・ 本物か 偽物か と判断するためには 
両方を比べることが 必要になる のだと思います。


イエス様と文先生。


「本物」の前での「偽物」・・それは影のようなものなのだと思います。


 (そう・・あの時
      霊界で見せられた時 文先生ワールド は石にできた影でした。
  
  まるで・・石がイエス様を表し、その石の影が文先生ワールドのような・・
  
  影とは・・光がなければ存在しないもの。


  本物がなければ偽物が存在しないように・・
  
  偽物が本物を利用して存在するように・・


  文先生はイエス様を利用して再臨主を名乗っていた。


  そして影を無くすためには・・光が必要・・
  影とは・・光が当たれば消えて無くなってしまうもの)


霊界で見せられた石とその影に大きな意味があったことに
後から気づきました。


そして・・随分と無駄な時間を過ごしてしまったことにも気が付いたのでした。




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最後にイエス様の証を・・
 (私には使命がないので 証し をしてはいけない・・と
  理解しているのですが・・誰かのお役に立てれば・・と思いまして・・


  後・・
  本来の使命を受けた方の方がより大きな啓示ですので
  もしその方にお逢いしたなら
  その方の啓示の方を優先していただけたら幸いです)



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マインドコントロールが解けてからの啓示です。
 文先生が
 「イエス・・可哀そうな男」と語られた時の事について
  私がきちんと理解していないことを教えられました。
   その時までの私は「ウソをつくな」という啓示だったので
   その啓示は 文先生が過去に語られていたこと
      *マリアと夫ヨセフの関係
      *虐げられて育ったこと
      *子供のころひもじさから石にパンになれと命令していたこと
   そのことに対して、ウソとしての「天の怒り」・・と
   思っていたのですが


   天の怒りはそれよりも
      文先生の イエス様に出会った ということに対しての
      強い怒りでした。「ウソをつくな、会っていない」と。
      上記の件についてもお怒りでした。


   後・・「我が神 我が神・・何故、私をお見捨てに・・」が
   原理では・・イエス様の神様への不信・失敗・・
       という解釈でしたがそれもお怒りでした。


 まぁ・・本当に・・
 イエス様に逢っていたならば・・
 お世話になった方のお嬢さんを辱めることなど
 できなかったと思います。


   (文先生の女性に対しての発想自体が異常だと言えると思います。


    それに女性に対してもそうですが 文先生とイエス様とでは
    人類に対しての 愛情? 慈愛? の想いが
    違いすぎて それにも驚きでした)



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私が呪縛から解かれて受けた啓示は
 「16歳でイエス様に会って使命を託された」のは ウソ ということでした。
     ですが・・まぁ・・???・・
     文先生にとっては悪霊と出会ってもイエス様と思えばイエス様だったかも
     知れません。
     ですが・・
     イエス様はハッキリと否定されていました。
     「会っていない、使命も託していない」と。


 当然でしょう・・
 これほど平気でうそが付けるのですから。


 それに
 ウソとはいつか真実が知らされてしまうものです。


 人へのウソは、自分へのウソであり、天に対してのウソです。


神様は人が悪の道に行かないように 良心と良心の呵責 を与えられました。
    文先生は良心については語られました。
     良心は両親に勝る・良心は師に勝る・良心は神に勝る と。
    ですが・・良心の呵責については語られませんでした。
    多分・・
    理解できなかったのでしょう。文先生には。
   
    文先生が生涯で認めたウソは二つあります。
      海を渡った写真が自分ではなかったこと。
      下宿先の女性が 自分に恋い焦がれて自殺した のではなかったこと。
    この二つについては 文先生はウソを認めました。
    ですが・・文先生は認めましたが
    先生からは 謝罪も訂正も ありませんでした。


 多分・・
 文先生には 良心の呵責 がなかったのでしょう。


 良心は理解して良心の呵責は理解できない・・とは不思議ですが・・


 理解できない文先生に神様が使命を託さることはなかったと思います。
   (良心の呵責が理解できない人は信用できないでしょう。
    ウソをついても平気なのですから)




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最後に・・今までお付き合いくださいましてありがとうございました。
たくさんの方がマインドコントロールから解かれて
イエス様にお逢いできるようにお祈りしています。

最後の記事になります

私の最後の証は イエス様 で終えようと思っていました。


理由は


マインドコントロールを解くため (文先生との決別のため) には


自己催眠を解くこと プラス イエス様の存在 があって初めて


可能になったのではないか・・と、考えているからです。



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昔・・霊感商法で世間からバッシングを受けていた時に
たくさんの方から指摘がありました。


 「教会員は マインドコントロール されている。


  文先生から・原理の教えから・教会から・・


  マインドコントロールを受けている。


  それで 自己判断・自己決定 ができないように


  なっている」・・と。


それに対して私は
 「マインドコントロールなど受けていない。
  私は自分で判断したし 自分で決めた」と
そう思っていました。


ですが・・
(皮肉?)なことに
文先生から出たある指示によって マインドコントロール を
受けていたことに気が付いたのでした。


その指示とは


「先生がメシヤとして本物か偽物か 神様に直接聞いてみるがよい」でした。


私は「文先生が言われたのだから」とその通りにしました。


すると・・
予想もしない展開になりました。
  神様に直接祈ろうとした私の前に文先生が現れ


  「私(文鮮明)の聖名を唱えずに神に通じると思うな」
  
  と立ちふさがったのでした。


そして私は気が付いたのでした。
「天のお父様・真の御父母様・・」という祈りの言葉が
マインドコントロールの入り口になっていた・・と。
まるで・・ 自己催眠術のための 呪文 の言葉の
ようになっていた・・と。
   つまり・・
   その言葉を通じて祈ることによって自分の中に「文先生ワールド」を
   作り上げ・・
   その作り上げた 文先生ワールド によって
   自分で自分を
   マインドコントロール(自己催眠)をしていた・・と。


   つまり・・
   自分が受けていたマインドコントロールは他者からによって
   掛けられていたのではなく 
   自分で自分に掛けていた "自己催眠" だった・・と。



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気が付くと・・


一つの カラクリの世界 のようでした。


私は意図も意思もなかったのに・・


(文先生ワールドの住人・夢の世界の住人)になっていたのでした。




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それからやっと理解したのでした。


自分でも不思議だったのですが、私は長い間


確信を持つことが出来ていませんでした。
 
 "文先生は 偽メシヤ である" と。 いうことに。


しかも 天上界でイエス様に逢いながら確信を持つことが出来ていませんでした。


   私が天上界に案内されて 神様とイエス様 にお会いしたのは
   マインドコントロールを受けていることに気が付くよりも
   かなり前の事でした。


   その時の私は不謹慎にも
   神様と共に居られるイエス様の存在 に違和感を持ちました。
   
   「何故ここにイエス様?」と。


   「神様の隣には文先生でしょ」そう思いました。
   
   そして
   「この場にふさわしいのは文先生のはず・・文先生は何処に?」と
   文先生を探しました。


   するとイエス様が答えられたのでした。


   「その者はここには居ない。その者と私達とは何の関わりもない」と。



そう・・
不思議なのですが・・
私は自己催眠に気が付くよりもかなり前にイエス様に
お逢いし直接「その者は関係ない」とメッセージを受けていたのに
長い間 文先生を 偽メシヤ と断定することが出来ていませんでした。



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つづく

最後に・・ありがとうございました。

私のような者に最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。


本来であれば 使命を託された者 が証しをするべきだったと思います。 


   (使命を託されていた方は私とは比較にならないほどの
    力があった方でした)
   
  


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  その方の存在を知ったのは清平の修練会に参加していた時でした。
  修練会が始まってから数日経ったころ、文先生が講話に来てくださいました。
  先生は2時間ほど話された後で
  私たちに「先生に何か質問ある」と言われました。
  一人の修練生が「イエス様のことを教えてください」と言いました。


  その質問に修練生のほとんどが賛同し期待の目を先生に注ぎました。


  すると先生は深いため息を吐かれ、ゆっくりと斜め前方を見上げました。
  見えない世界をみているかのように。
   ・・その時の私は
     "この風景・・前にも見たことがある。
      確か・・従軍慰安婦の話の時に・・
      ということは・・
      今から話すことは ウソ? ということ"


      そんなことをぼんやりと考えていると
  
  先生が
  「イエス・・彼は可哀そうな男だ」とため息交じりに言いました。


  そのとたん・・
  見ていた風景が一気に変わりました。
  建物の中だったのが一瞬で外の風景となり、空には厚い雲が広がり雷鳴が轟きました。


  そして天からの稲妻と共に「ウソをつくな」という怒りの声がしました。


  その稲妻の中、天からの光が一人の男性に注がれました。
  すると男性からも光が放たれその光が天からの光とスーパークしました。
  文先生の驚いた顔・・直ぐにあたりを見渡し、その男性と目が合いました。
  瞬間、二人の力が空中でぶつかったようで私にはそれが波動のように
  伝わりました。



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私はその方が現れるのをずっと待っていた・・のですが、
   今まで現れないとなると・・残念なことですが・・
   多分・・
   統一教会に見切りをつけて既に去られたのだと思います。


その方は私よりもたくさんの恩恵が与えられていました。
証をするには十分なほどだったと思います。
ですので
私のような小さな証者ではなく、その方であれば・・
もっと力強い言葉と証とで
皆様方を納得させることができたと思います。
  (私にその方を探し出せるほどの力があれば良かったのですが
   私にはその力がありませんでした)




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最後にお詫びがあります
申し訳ない話ですが・・
一連の証をしていた時から他の方の記事を全く読んでいません。
コメント欄も見ていません。


私宛の記事・コメントを書いてくださった方、本当にすみませんでした。


天の証なので山にでも籠って(すべての事を遮断して)
記事を書きたかったのでそのようにしてしまいました。
本当にすみませんでした。


多分・・私の記事に対していろいろなご意見があったことと思います。


それらはすべて私の力不足です。


私には皆様を納得させられるほどの 力も証も使命も ありません。


使命のないものが証をしていまい本当に申し訳ありませんでした。


本来の方が教会に現れなかったことが本当に残念です。
(私もその方からたくさんの証を聞いてみたかったです)


それにその方が教会を去っているのであれば
私には教会にとどまる理由がないので私も去ろうと思っています。


今まで私のような者にお付き合いくださいましてありがとうございました。


最後の記事は イエス様 にしようと思っています。