文先生にとっての・・「理想の女性像」 と 「三日行事」

祝福を受けたカップルが家庭を出発にするに際して参加する
「家庭出発のための修練会」。


メインは「三日行事」の説明。
教理としては・・
「女性から始まった堕落の経路を反転し元の位置に戻るための儀式」とのこと。


具体的な方法としては・・
「女性が裸になって布団で待っている」とのこと。



・・・・・。



まるで・・


文先生の 女性に対する欲望・願望 がそのまま形になっているような・・



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ユーチューブを見ていると
女性クリニックで「夫婦間のセックスレス」を専門にしている
女医さんの話がありました。


「セックスレス」になりやすい夫婦・妻のことについて話していました。
夫が男性本位のセックスをしていると妻は喜びがなく、やがてセックスレスに
なるとのこと。
   女医さんの説明によると
   女性の体はとても繊細にできているため
   前戯が不十分なまま・・いきなり C にいった場合
   女性の体の方では受け入れる準備ができていないために


   心では相手を受け入れ 頭では行為を理解していても
   体の方では

   強姦されているように感じているとのこと。


   しかも女性は 「嫌われたくない」 という思いから 
   「感じているふり」
   をするのでやがては・・セックスレス・・になるとのこと。


女医さんによると日本女性の場合50%ぐらいの家庭がセックスレスに
なっているそうだが
統一教会の場合70%以上ではないかと思います。


私の知っている先輩家庭の方も
「もう苦痛でしかない 子供もできない年代なんだから・・もう止めたい」と。


多分・・教会の奥さんには・・多いのではないか・・と思います。
心と頭では義務感と使命感で行為を受け入れても
体では強姦されている・・と、感じている人は。



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一体・・何のための・誰のための 祝福 であり、 三日行事 だったのでしょうか?


本来は 「祝福 ・ 三日行事」 とは 「血統転換のため」 だったはず。


それなのに・・「血統転換」 についてはいかなる証もない。


真のご子女様からも祝福二世からも


あるのは・・


  「人類の真の父母」 であり 「人類の救い主・再臨主」 である


   文先生の 予言(統一原理) だけ。


本来・・予言(統一原理)を成就しないといけないのはご子女様と祝福二世。



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今のままだと・・


予言(統一原理)は文先生の 戯言・夢物語 になりそうです。

二世が証明している・・祝福 と 三日行事

統一原理にとってメインとなっているのが祝福。
そしてそれと同等に意味があるのが三日行事。


  原理の目的は血統転換(祝福・三日行事)であり、
  ゴールは血統転換された者同士(二世以降)によって 
  人類一家族 の世界を作り上げていくこと



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祝福はすでに破綻しているといえるでしょう。
真のご家庭からしてそのことを示しています。


  ご子女様方のほとんどの方が 文先生によって定められた相手よりも
  自分で選んだ相手との結婚を望んでいるのですから。


  (そのことについて・・教会の発表は・・
   サタンがいるから・・等の説明をしていますが
   "お子様方全員がサタンの影響を受けているわけではない
    (離婚していない方もおられる)"
   ことを考えると・・祝福を全うする・しないはご子女様方一人一人の
   責任の有無にあるといえると思います。サタンの影響だとか
   ではなく)



それに・・
今の祝福は 既成祝福 を大々的にしていますが・・
本来の祝福は マッチング のはず(それが本来の在り方のはず)です。


  既成祝福とは・・堕落したカップルを認めるようなもの。
  既成祝福自体が 堕落論 を否定しているようなものでしょう。
  それに・・
  既成祝福から生まれた子供は一世扱いになります。
  一方が二世であっても既成家庭となれば・・子供は一世になります。
  つまり・・


  祝福は与えても恩恵は受けられない(認められても血統転換はされない)


  それは・・
  既成祝福とは何万双あっても祝福としては何らの意味も価値もない・・ということ。
   (既成祝福とは教会による信徒獲得のための誤魔化しと言えるでしょう)




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そして祝福と同様に
「三日行事」も破綻している教えだと言えるでしょう。


原理的には「三日行事」によって、堕落のなかった立場に立つはずでした。
  エバがアダムを逆主管したのを逆の経路にすることによって
  蕩減がなされたことになるはずでした。


ですが・・実際は・・


行事を行っても 罪から救われた 実感はありませんでした。


しかも・・問題は・・
生まれてきた二世が 原理の言う 堕落前の創造本然の姿にはなって
いないことでしょう。


創造本然のアダムとエバになれば・・
「罪を犯したくても犯すことができない」ようになるはずでした。


ですが・・現実は ウソもつくし 盗みもするし 堕落もする でした。
それに文先生は二世から
 「世界のリーダーが生まれる」
 「人は堕落によって知的レベルも肉体的レベルも 地に落ちたので
  創造本然の二世は夢のような子供が生まれてくる」
と予言されました。
がそのような子供は生まれてきませんでした。
  
更に問題なのは二世には 堕落 に対しての罪意識が強くないことでした。
  一世は恋愛結婚に罪悪感を持ちました。
  恋愛することに嫌悪感を持ちました。


ですが・・二世は一世ほど強く感じていないのでした。


  本来であれば・・
  祝福二世は堕落前の立場に立っているので
  理想相対以外の方と関係を持てば・・
  堕落時のエバが瞬間的に「自分の本来の相手はアダム」ということに
  気が付いたように・・
  「自分の理想相対は〇〇」と気づくはずでした。
  そして堕落したアダムとエバのように死ぬほど後悔したはずでした。
    (二世の証でそのような証をしている人はいません)
    
文先生が「二世の堕落はサタンよりもサタンになる。
     その者は生まれてこない方が良かった」


とまで言われているのですから・・
   


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本来は・・
み言葉に責任を持たなければいけなかった御子女様と二世。


本来は・・
「祝福」 と 「三日行事」 に
たくさんの証があるはずなのに・・
原理のゴールにたどり着いているはずの二世の証が 皆無 という現実・・



文先生の言葉に


 統一原理の正しさは二世が証明してくれる


と言われた言葉があります。


その言葉通りに


 統一原理が真理でないことを二世が証明してくれている


のでしょう。

「先生は女性を解放するために来た」それとも「女性の敵?」

文先生指導の女性のための修練会に出た時でした。


先生の講話の前に男性の講師の方が「主の路程」の一部
日本留学時代に受けた迫害の話をされました。


先生が如何に日本で苦労したかがメインの話でした。


それから文先生の講話が始まりました。
先生は私達女性に言いました。


  「先生は女性を解放するために来たんだ」


  「先生は女性のゆえにとても苦労したんだ」


  「先生は女性の視線が怖くて道を歩くときは
   45度以上頭をあげることができなかった」


とのことでした。   


たくさんの方が涙ながら聞いていました。
私も罪悪感に包まれていました。
そして
「神様、日本にもっと罰を与えてください」と祈りました。
そして
自分が日本人として生まれてきたことを心底呪いました。



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主の路程の最後は


「先生は日本留学中に 聖書を読み込んで 堕落論 を解いた。
 この堕落論は 最後には神様さえも認めた」でした。



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悲しいけれど・・すべてが


ウソ だったようです。


聖書にはイエス様が


「欲情の思いを持って女性を見るものはすでに 姦淫 の罪を犯したのである」

と、あったはず・・


「下宿先での女性の話」の真実を知ると・・


文先生に 堕落論 を解くことはできなかったでしょう。


  裸で寝床に潜り込んでいたという話が 文先生の 女性への願望 だったということは
  つまり、文先生は(その女性を見ていた時の文先生は)
  頭の中で 女性のあらわな姿を想像しながら・・見ていたということ。


    多分・・女性は文先生を慕うどころか軽蔑していたでしょう。
    年頃の女性は男性からの視線にとても敏感ですから。
    文先生の下心を見抜いていたでしょう。  


  となると・・
  下宿先の女性の話の真相は・・
  (文先生目線としては・・)
  
   自分が好意を寄せているのに女性の方は相手にしてくれない
   むしろ自分を嫌っている。
   女性に対して・・文先生は 憎しみを覚えたでしょう。
   可愛さ余って憎さ100倍だったでしょう。
   そして・・
   怒りを抑えられなかった文先生は
   女性が亡くなっているのをいいことに・・
   「自分の欲望を満たすストーリー」を作り上げたのでしょう。
   「あの女は俺に惚れ込んで裸で迫ってきた。 
    俺が相手にしなかったら俺に恋焦がれて自殺した」と。




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こんな男に 聖書 を読み解くことなどできなかったでしょう。
イエス様の言葉も理解できない男に 堕落論 など解明できなかったでしょう。


特に無実の人を罪人にすることを最も嫌っているのがイエス様。


  イエス様の怒りはマックスでしょう。
  天上界ではイエス様が文先生のことを
  「その人は私達とは関係ない」と言われていました。
  ともにおられた神様も完全無視でした。


文先生の言葉が如何に偽りに満ちているか・・
神様がイエス様が相対するはずがありません。


「先生は女性を解放するために来た」そう言いながら


日本留学時代の文青年は 反感を持たれている韓国人(文青年)を
差別なく受け入れ面倒を見てくれていた
恩人の娘さんを貶ていたのでした。


しかも死んで反論もできない人を辱めるとは・・
なんて卑怯で卑劣なことか・・
最低の男である。

文先生は「女性の敵だ」と言いたいです。