tomyさん ありがとうございます

「主の路程」に関しての記事にコメントを寄せてくださいまして
ありがとうございます。


コメントより)
文鮮明先生み言精選『真の御父母様の生涯路程 1』からまくわうり畑の話の引用を紹介します。
-----(引用開始)
 それで、私は村のかわいそうな貧乏人の子供たちのために、博打でお金をもうけて、水飴を瓶のまま買い、「お前も食べていけ、お前も食べていけ」と、みんなが食べることができるようにしてあげました。悪いことはしませんでした。


 ところで叔父は欲が深かったのです。村の子供たちが行ったり来たりする道に、まくわうり畑がありましたが、毎日このまくわうりのにおいのためにみな気も狂わんばかりでした。しかし、番小屋を道端に造って見張っていて、一つもくれないのです。それで私はある日、「まくわうりを食べてみたい子供たちは、全部布の袋を持って、いついつに来い!」と言いました。夜十二時ごろになって、「一献ずつ全部抜き取れ」と言いました。「このようにして萩の畑に持っていって積んでおき、何時に来て食べて行け」と言えば、朝早くから来て思いきり食べて行くのです。そうして、大騒ぎになりました。いくら考えても、甥の私しかいませんからね。「私がしました。叔父さん! 食べたがる人々に、時折まくわうり一個ずつあげるべきですか、絶対あげてはなりませんか」と言うと、「あげるべきだろう」と言うのです。


 それから、姉の夫たちが来るようになれば、財布にあるお金を勝手に取り出して使っても、認めるように約束したのです。そして姉の夫たちに頻繁に来いと言いました。来ればあらかじめ約束をしたために、お金が必要ならば取り出して、村のかわいそうな子供たちに大きな飴玉も買ってあげ、水飴も買ってあげたのです。そのようなことは悪いことではありません。
-----(終わり)


まくわうり泥棒(?)ですが、その畑は【叔父は欲が深かったのです。】、つまりは親戚の家のおじさんの畑からでした。ほか、米びつから米を救っては分けてあげたりと貧しい家庭や友達を見てはそれを助けたとの話をされていたものでした。


まくわうり畑の持ち主の心配はする必要もないでしょう?!


*************************************************************************(以上)


私はこのみ言葉を読んでいないので、当時の詳しいいきさつを初めて知りました。
tomyさん貴重な情報をありがとうございます。


  (私のお返事と感想です)
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み言葉より)悪いことはしませんでした。
私の感想)?
    普通・・子供時代の思い出話の最後は・・楽しい思い出でした。とか
        懐かしい思い出です。というのが結びの言葉になると思うのですが・・


        それが・・「悪いことはしませんでした」


        それって・・何故わざわざそのようなことを言うのでしょうか?
        普通・・「後ろめたいこと・自分は悪いと思ってないが、
        人からは悪いことだと言われていた・誰かに行動を咎められた
        ことがある」・・という前提があっての言葉のように思います。
        つまり・・悪いことはしませんでした。と言うこと自体がイコール
        悪いことをしていました。と・・解釈することも
        できるのではないでしょうか。


み言葉より)博打でお金をもうけて
私の感想)子供が何をしているのですか。
     儲けたお金で人助けをしたから良いことをした・・とはならないでしょう。
     それにそのような場所では・・汚いお金に、ケンカ・酒・女がつきもの。
     誰がそのような場所に子供を案内したのでしょうか?
     それとも・・そこに出入りできるだけのお金を文少年は
     持っていたのでしょうか?
     親がそれほどのお金を持たせているとは考えられないでしょう。
     となると・・金持ちのボンボンの常とう手段・・親の金を盗んで博打通い?
      (親が常連客の場合もあるでしょうが・・それだとカモにされて
       文家はとっくに落ちぶれていたでしょう。)
     一番考えられるのは・・文家が博打場の経営者・親分だった、でしょうか。
     それで、子分たちは親分の子供を無下に断ることはできなかった・・と
     いうことでしょうか。
     つまり、文家は単なる両班ではなく・・闇の社会も牛耳っていた・・という
     ことでしょうか。


み言葉より)叔父は欲が深かったのです。番小屋を道端に造って見張っていて、ひとつも
      くれないのです。
私の感想)欲は深くありません。当たり前のことです。日本でも果樹園などは
     柵を作るなど泥棒対策をしています。


み言葉より)食べたがる人々に、時折まくわうり一個ずつあげるべきですか、絶対あげて
     はなりませんか」と言うと、「あげるべきだろう」と言うのです。
私の感想)無茶を言ってはいけません。村人全てが食べたがっているのに
     分けてあげていたらきりがありません。村人にとっては単なる瓜でしょうが
     おじさんにすれば「お金」です。
     瓜をあげろとは、ただでお金をあげろと同じことです。無茶なことです。


み言葉)財布にあるお金を勝手に取り出して使っても、認めるように約束したのです。
    そのようなことは悪いことではありません。
私の感想)悪いことです。親の金でも、勝手に取り出してはいけません。
     それは泥棒です。


tomyさん)【叔父は欲が深かったのです。】
私の感想)叔父さんは普通です。ただで瓜(金)を分けろという文少年の方がよほど
     欲が深いです。


tomyさん)米びつから米を救っては分けてあげたりと貧しい家庭や友達を見ては
     それを助けたとの話をされていたものでした。
私の感想)文家はよほどお金に余裕があったようです。ですが、勝手に家の物を
     持ち出すのはいけないことだと思います。
     それに、盗んだもので人助けをして、それで ”ヒーロー気取り” というのは
     本人の独りよがり?本人の思い違い?・・ではないでしょうか。


tomyさん)まくわうり畑の持ち主の心配はする必要もないでしょう?!
私の感想)瓜畑をメチャクチャにしておきながら、謝罪もしなければ、弁償もしない
     それどころか・・
    「欲しがる人には瓜(金)をやれ」「財布からは金を取らせろ」
     これを約束させられるなんて・・
     普通に、こういうのって 「恐喝」 じゃなかったでしょうか。
     一方的に金の無心をするなんて。
     しかも・・約束させた方は子供であり、二人は叔父と甥の関係でもあるのに
     ?・・一体どういうことでしょうか。この圧倒的で絶対的な
     上下関係とは・・両班と奴隷?親分と子分?
     普通の叔父と甥の関係ではないと思います。
     それに子供ですから・・おそらく誰かの真似をしていたのでしょう。
  
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以上ですが・・
tomyさんには心より感謝したいと思っています。
tomyさんのお陰で・・文家とはかなり特殊な家だったということがわかりました。
ありがとうございます。


   多分・・tomyさんにはまだお子様がおられないのだと思います。
       もし・・自分の子供が博打通いをして、
       そこでお金までかけているとなると・・
       普通の親なら卒倒しそうです。
        ”それなのに、文少年は出入りができた。許されていた。
         (金に酒に煙草に女・男女のいかがわしい場面も目にするでしょう)
         そんな所に出入りを許す親って・・”


確か・・      
聖書ではイエスの父ヨセフは大工とありましたが・・
再臨の主の路程では父の職業は明かされていなかったように思います。


それは・・多分・・人には知られたくなかった職業だった・・のでしょうか?


ですが・・天の摂理的にはその方が(ヤクザの方)がメシヤらしいような気がします。


「イエス様は私生児」  「再臨主はヤクザの息子」


イエス様の時代の私生児とは、石打の刑で殺されていた身、
現代でヤクザの子となれば、世間からはつまはじきにされたような身。


イエス様は・・人を救うために人として天から来られた。


再臨主は全ての人を救うために最も底辺の人間(悪人の頭・ヤクザ)として
この世に来られた。


こちらの方がドラマ的でいいように思います。
それに「悪いことはしていません」「悪いことではありません」なんて言い訳じみた
ことは言わなくても、ストレートに「昔の先生はワルでした」と言えばいいですし、
「イエス様と神様に出会い先生の人生は変わりました」の方がより感動的であるように
思います。