「先生は女性を解放するために来た」それとも「女性の敵?」

文先生指導の女性のための修練会に出た時でした。


先生の講話の前に男性の講師の方が「主の路程」の一部
日本留学時代に受けた迫害の話をされました。


先生が如何に日本で苦労したかがメインの話でした。


それから文先生の講話が始まりました。
先生は私達女性に言いました。


  「先生は女性を解放するために来たんだ」


  「先生は女性のゆえにとても苦労したんだ」


  「先生は女性の視線が怖くて道を歩くときは
   45度以上頭をあげることができなかった」


とのことでした。   


たくさんの方が涙ながら聞いていました。
私も罪悪感に包まれていました。
そして
「神様、日本にもっと罰を与えてください」と祈りました。
そして
自分が日本人として生まれてきたことを心底呪いました。



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主の路程の最後は


「先生は日本留学中に 聖書を読み込んで 堕落論 を解いた。
 この堕落論は 最後には神様さえも認めた」でした。



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悲しいけれど・・すべてが


ウソ だったようです。


聖書にはイエス様が


「欲情の思いを持って女性を見るものはすでに 姦淫 の罪を犯したのである」

と、あったはず・・


「下宿先での女性の話」の真実を知ると・・


文先生に 堕落論 を解くことはできなかったでしょう。


  裸で寝床に潜り込んでいたという話が 文先生の 女性への願望 だったということは
  つまり、文先生は(その女性を見ていた時の文先生は)
  頭の中で 女性のあらわな姿を想像しながら・・見ていたということ。


    多分・・女性は文先生を慕うどころか軽蔑していたでしょう。
    年頃の女性は男性からの視線にとても敏感ですから。
    文先生の下心を見抜いていたでしょう。  


  となると・・
  下宿先の女性の話の真相は・・
  (文先生目線としては・・)
  
   自分が好意を寄せているのに女性の方は相手にしてくれない
   むしろ自分を嫌っている。
   女性に対して・・文先生は 憎しみを覚えたでしょう。
   可愛さ余って憎さ100倍だったでしょう。
   そして・・
   怒りを抑えられなかった文先生は
   女性が亡くなっているのをいいことに・・
   「自分の欲望を満たすストーリー」を作り上げたのでしょう。
   「あの女は俺に惚れ込んで裸で迫ってきた。 
    俺が相手にしなかったら俺に恋焦がれて自殺した」と。




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こんな男に 聖書 を読み解くことなどできなかったでしょう。
イエス様の言葉も理解できない男に 堕落論 など解明できなかったでしょう。


特に無実の人を罪人にすることを最も嫌っているのがイエス様。


  イエス様の怒りはマックスでしょう。
  天上界ではイエス様が文先生のことを
  「その人は私達とは関係ない」と言われていました。
  ともにおられた神様も完全無視でした。


文先生の言葉が如何に偽りに満ちているか・・
神様がイエス様が相対するはずがありません。


「先生は女性を解放するために来た」そう言いながら


日本留学時代の文青年は 反感を持たれている韓国人(文青年)を
差別なく受け入れ面倒を見てくれていた
恩人の娘さんを貶ていたのでした。


しかも死んで反論もできない人を辱めるとは・・
なんて卑怯で卑劣なことか・・
最低の男である。

文先生は「女性の敵だ」と言いたいです。