文先生にとっての・・「理想の女性像」・・

文先生の自慢話の一つに
「若い頃 いかに モテ ていたか」という話があります。
私も修練会のたびに聞いてきましたが その中で


その話・・言う必要がある?
「男としてどうなの?女性の恥部を話すのは」


と・・そのように思うものがありました。


それは日本留学中に下宿先のお嬢さんが
「文先生の留守中に文先生の寝床に裸で潜り込んでいたこと」
でした。
同じ女性としてはあまりにもショッキングな話でした。
とても恥ずかしいと思いました。
出来れば聞きたくなかった・知りたくなかった話でした。


さらに嫌だったのが・・
この話が原理と共に世界中で話されている・・ということでした。


この話を聞いた人がどのように思うか・・それを考えると・・
ゾッとしました。
  (日本女性が知らない土地で知らない人に 辱めを 受けているような
   そのような感覚になりました)
  (さらに・・この話を聞いた他国の男性が日本の女性は こうするんだ
   そのように思ったら・・そう考えました)


そして・・この女性は生まれてこない方が良かった
     そのような人だ。そう思いました。


そして「文先生、願わくは 男ならば ・・その話・・
    好意を寄せてくれた女性との秘話として
    文先生の胸の内だけに留め置いてください」そう祈りました。



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そう・・私にとって「下宿先での女性の話」は
なかったことにしたかった話でした。
ですが・・
数年後・・その話は 嘘 だと知りました。


ある日配られたファミリーという教会発行の月刊誌に
「恩を忘れなかった文先生」
「日本留学中にお世話になった下宿先に訪問」
という美談として三人で映った写真が載せられていました。


  満面の笑み・勝ち誇ったかのような笑みを浮かべた文先生と
  それとは対照的などこか不満げな暗い顔のご夫妻。の写真でした。


その写真を見た私たち5人ぐらいの女性シックの感想は


"せっかく文先生が訪ねてくださったのだから・・もっと笑顔で写ればいいのに"


でした。




すると一人の女性シックが口を開きました。
  「これ・・違うの。本当は謝罪で行っているの。
   下宿先での女性の話は全部 ウソ で夫妻が教会に何度も
   抗議してきて文先生がお詫びに来なければ許さない。ってことになって
   それで文先生が謝罪に訪れた・・って話なの」


それに対してのその時の私たちの答えは・・


  「なんて厚かましい人達なの。
   教会はお詫びしているんでしょう。
   それでいいじゃない。
   それを文先生まで呼び出すなんて。
   なんて失礼な人たち」でした。



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今思うと・・
どれほど強いマインドコントロールを自分に課していたのかが
よく分かります。


  普通は 嘘 をついた人を蔑むでしょうに。


  特に日本人は 嘘 を嫌う民族。
  つくのもつかれるのも嫌う民族。のはず。
  しかも私は「この話は ウソ であってほしかった」はずなのに。
  その時の私達女性陣は


  どうしても・・文先生の非を認める気にはなれませんでした。


  マインドコントロール恐るべしでした。




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そしてマインドコントロールが解けてから思ったことは


「この話がウソということは・・


 裸で寝床に潜り込んでいた話が・・ ウソ ということは


 それは文先生の 願望 だったということではないか・・


 つまり、その女性を見ていた時の文先生は女性の あられもない姿 を
 想像しながら見ていた・・ということ。俺の前ではこういう姿になれ」と。



そして憤りを覚えました。


 文先生って・・「女性の敵」・・でしょ



心の底からそう思いました。

驕る平家(文先生)は久しからず

文先生のみ言葉で一番衝撃的だったのは・・
自身のことを


夜の神様


と、表現されたことでしょうか。


文先生の最晩年のみ言葉。本体論。
その中で
「昼の神様と夜の神様が在る。私(文鮮明)は夜の神様である。
 夜の神様は私だけである」
とのこと。


本当に衝撃でした。


「どれほどの驕りがあれば自身のことを 神様 と表現できるのか」


そう思いました。


しかも・・
「私(文鮮明)が勝利したことによって神様は悲しみから解放された。
 もはや神様は悲しみの神ではなくなった」
とのこと。


まぁ・・要約すると・・


  本体論とは・・
  本来であれば・・
  神様の存在があってこそメシヤの存在があるはずなのに・・
  まるで・・私(文鮮明)が在るから神様が存在する
  そのような解釈でした。



?・・確か・・2011年頃だったと思います。
私が本体論の講義を教会で受けたのは・・


話を聞いて最初に感じたことは・・


この人(文先生)は天(神様・天上界)を畏れないのか
    
でした。



人でありながら 神 を名乗るなんて・・



天(天上界)の怒りはマックスだった・・と思います。


そのみ言葉以降の文先生は見る影もないほどに衰えていきました。


そして・・
120歳まで生きると言われた文先生の寿命が尽きたのでしょう。


翌年の
2012年9月3日93歳で文先生は聖和されたのでした。



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それから教会員にも腹が立ちました。
いくらマインドコントロールをされているとはいえ
何故、文先生が神様を名乗ることを認めるのかと。


  文先生を否定できなくとも・・「殿(文先生)、ご乱心を」ぐらいの
  反論はするべきだったと思います。


天から見れば言った文先生と認めた教会員は同罪だと思います。
  (?確か・・原理口論が長成期、本体論が完成期のみ言葉と説明が
        あったような・・
        となると・・
   文先生はメシヤではなく・・神様になりたかった・・ということに
   なるのではないでしょうか)


?・・
教会員はメシヤとしての文先生を信じていたのではなかったでしょうか
メシヤを名乗る文先生を信じることと、神様を名乗る文先生を信じることは
別だと思います。


多分・・
今までは・・日本人シックの真心は天に通じていましたが
これ以降は・・日本人シックの真心さえも天には通じなくなったと思います。
(私のような者が言うべきではありませんが・・
 教会員は
 〇〇〇〇を感じるべきではないかと思います)

「日本人は忠孝の源」ではなく・・同情されていました

文先生は日本人シックを「日本人は忠孝の源」といって
持ち上げていました。


それは・・文先生が 「世界中が日本人シックのようになって欲しい 」
と願っていたということだと思います。


多分・・「アベル絶対」「み旨絶対」と
マインドコントロールを強く受けている日本人シックは
文先生にとっても教会にとっても 理想的な存在だったと思います。


そして世界中のシックが日本人シックと同じようになれば・・


その世界は文先生と教会にとっては
文先生ワールド・・理想の国・千年王国 の完成になったことでしょう。


ですが・・そのようには成りませんでした。


 多分・・今も同じだと思うのですが・・
 (私は3ヶ国に宣教に行きましたが)
  何処の国も 伝道も 経済復帰も するのは日本人だけでした。
  花売りも日本人だけが行きました。
  何処の国も日本人がいなければ組織を維持することができない
  状態でした。
  何処の国も日本からの人材を 永遠に 要求し、日本からの経済的な
  支援を 永遠に 要求しようとしていました。


  (もしみ旨に責任を持とうとすれば・・日本人だけに
   伝道も万物復帰も押し付けるようなことはしないでしょう。


   せめて共に歩もうとするでしょう。
   ・・彼らは共に歩もうともしませんでした)



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まぁ・・
日本人の信仰に触れて・・最初は・・尊敬するのでしょうが・・
時間と共に・・「アベル絶対」「み旨絶対」の姿勢に疑問を持つように
なるのでしょう。
 ・・日本人食口に対して最初に抱いた尊敬の想いは・・
    すぐに同情に変り・・同情は 蔑視 へと変わっていきました)
    
そのことは同時に
 (日本人のようになるということは 組織に利用され搾取される存在 に
  なっていくということに気が付いたということだと思います)


しかも・・
問題なのは・・
本家の韓国人でさえ「アベル絶対」「み旨絶対」にならないのですから・・
世界がなるわけはない・・と思います。


  韓国人の影響は大きいですね。
  知り合いに日韓祝福で韓国からお嫁さんに来ている人がいますが
  お嫁さんが(義母・知り合い)に言った・・とのこと。
  「お義母さん、教会との付き合いはほどほどにした方がいいですよ」と。
    (当然・・お嫁さんは教会関係はすべて二の次とのこと)
     さらに・・息子さんもお孫さんも教会から距離を置き、
     知り合いは分派へと行ったのでした。


まぁ・・
世界から見と・・韓国人食口と日本人食口を見比べてみて 答えは出るでしょう。 
日本人でさえ韓国人食口の影響を受けるのですから。


そう・・
世界の食口の答えは・・


  祝福という恩恵は受けても・・


   日本人食口の様にはなりたくない 


  「アベル絶対」「み旨絶対」は嫌だ


  ということなのだと思います。



それに文先生は「日本は母の国」と説明していましたが・・
日本人食口が永遠に世界中の教会組織を援助し続けるなんて
不可能なことでしょう。


そして・・そのことの結論は


   統一教会が世界的宗教団体になることはない


ということだと思います。