ちょっと・・一息。

前回の続きでなくてすみません。
最近、はまっている・・
”ユーチューブ” の動画を見ていて思い出したことがありましたので・・


  韓国ネタを得意とする ユーチューバー さんの動画で・・
  テーマは 
   「韓国人の ウソ は 有名である。
    何故、韓国人は平気で ウソ をつくのか」
  でした。


   で・・
   見ていて、理解したことは・・
   韓国人は ウソをついていると言う自覚がない。とのこと。
   それは韓国人のウソと言うのは 先に 願望 があって
   そこから 発想が展開していき・・   
   最初は ”こうだったらいいのにな” だったのが・・
   妄想がふくらみ、こうであるはず に変化していき・・
   最後は妄想と現実の区別がつかなくなる。とのこと。


   まるで 嘘つきな子供 である。


   例えば・・「ディズニーランドに行きたいな」と、思ったとして、
   次に 「ディズニーランドに行ったら あんなこととか こんなことを
       しよう」と妄想が膨らみ、
   やがては・・妄想なのに「自分は ディズニーランドに行ってきたんだ」となり、
   それをそのまま口にする。当然 悪気などない


   となるので、韓国人は ウソ をついている自覚がない とのこと。
   ウソ ではないので・・良心の呵責もない。とのこと。


まぁ・・色々な説があると思うのですが・・


私としては、
「後で判ることなのに・・何故、ウソをつくのか」と不思議に思っていたので
この動画には納得でした。


そしてこの動画で思い出したのが・・
  文先生の
  学歴詐称 と 思い出の女性 の件でした。


(学歴詐称)
  最近まで知らなかったのですが・・
  何方かのブログ記事から知ったことです。
    文先生が日本留学していた先が
    早稲田大学ではなかったとのこと。
  早稲田の分校? 高専? でしたっけ? (うるおぼえですみません)
  ブログの記事には卒業の証明証のようなものも載せていたので
  信頼できる話だと思います。


  多分・・
  文先生にとっての・・願望? としては・・
  「日本の有名大学を卒業して箔をつけたい」
  「自分は頭がいい。大学は当たり前」  
  「自分は早稲田大学に入学し、卒業した」
  だから ? 学歴詐称 ではない。
  願望だから ? ウソ ではない。
  こんな感じ ? なのでしょうか。
  よくわからない・・ですが・・


・・・・・・・・・・・・・・・・


後・・
(思い出の女性の件)
    文先生が日本に留学中にお世話になった先のお嬢さんについてで、
    歳は20前後? の方で文先生に恋焦がれ、
    文先生を慕うあまり・・犯した事件が
    主の路程で語られていました。
      ある日の夜遅く文先生が下宿先の自室に戻ると 女性が素っ裸で、
      文先生のふとんに潜り込んでいた。とのこと。
      文先生は女性に気が付くと、女性が映った鏡を指さし、
       「鏡に映った自分自身の姿を見なさい。
        あなたは何と愚かなことをしているのですか。
        このみじめな姿を見て、このことがいかに浅ましさく、
        自分を貶める行為なのかということに気づきなさい」
      と、鏡越しに説教をし、二度と過ちを繰り返さないように諭した。とのこと。
   
    その後 女性は・・ 
    文先生にまったく相手にされないことに 耐えきれなくなり、
    自ら生命を絶った。とのこと。


始めてその話を聞いたときは
あまりにも刺激的で強烈な内容に驚きました。が、
それよりも・・
「この話は言わなくていい話ではないか」とも思いました。
それは・・
主の路程ではその人の住所も職業も建物の名前も本名でさえも
語られていたからでした。
「こんな個人を特定できる情報を・・しかも・・
 内容がこんな恥ずかしいことを・・
 日本人だったら・・亡くなった人を辱めることは言わない。のに。
 それに、
 なにより、
 「先生、男だったら、
  自分に惚れた女性の恥部は
  自分の心にだけとどめておかれたほうがいいのではないですか。
  自分とその女性だけの思い出として。
  その方が男としての株が上がると思いますよ」
 そう思いました。


そしてその後・・この話の真実を知ったのは・・
講義を聞いてから10年は過ぎた頃でしょうか。


 その日 教会では毎月発行の「ファミリー」という雑誌が配られていました。
 そしてその中の記事の一つに「文先生が留学中お世話になった夫妻を訪問」として
 文先生とご夫妻の三人が写った一枚の写真が載せられていました。
 記事には
  「文先生は留学中に受けた恩を忘れることなく、
   忙しい日本滞在中にありながら時間を取って
   ご夫妻に会いに行かれました」
 と、書かれていました。


記事もそうでしたが、載せられた写真の文先生がとてもにこやかに微笑んでいたので
私はとてもうれしい気持ちになりました。
他の人も同じようで(その場には7~8名の食口がいました)
皆、喜んでいました。
誰もが・・
多分・・
主の路程で語られていた文先生のことを思い出していたのだと思います。
 「先生にとって日本留学中は迫害を受けた苦難の日々だった。
  そのような中でも先生には感謝したい人がいる。
  
  その人達だけが先生を大切にしてくれた。
  その人達だけが先生を日本人と平等に扱ってくれた。
  その人達だけが先生を他の学生と分け隔てなく接してくれた。
  
  それで、先生の願いは
  その方たちを再度訪ねることである。
  勝利した先生の姿を見せて
  先生の面倒をみたことを誇りにおもえるようになって欲しい。
  そう願っている」と。語られていたことを。


私たちはただ純粋に 先生の長年の願いがかなったことが自分の事のように
嬉しくてよろこんでいました。・・ですが
写真には・・気になることもありました。
それは・・先生の顔も笑顔で、記事の題名も、載せられている内容も
美談でした・・が
にこやかな先生に対して一緒に映っている夫妻には笑顔がありませんでした。
  夫妻はすでにお年を召していましたが お二人とも整った上品な顔立ちで
  育ちの良さがにじみ出ているような感じがしました。
  なので私たちは勝手にお嬢さんも
  きっと美人で品のある方だったんだろうな・・と思いました。


それにしても・・
美男美女が台無しである。もっと笑っていればいいのに。それに
夫妻にとっても喜ばしい再会のはずなのに・・と、
夫妻の表情からは喜びを感じられなくて・・不自然な写真に感じていました。


他の人達もそのことは気になったようで、
「久しぶりに会えたのだから もう少し笑顔でもいいのにね」
「本当、せっかくの記念写真なのにね」
「そう、そう、文先生と一緒に写れる機会なんてないのに」
「そうね。でも、文先生があまりにも立派になられたので 緊張してるんじゃない」
「そうよ。なんてったって再臨主・メシヤだもの」
「きっと、驚いてしまっているのよ」


私たちがそう納得しようとしていると、
一緒に見ていた中のひとりが
「この写真の二人・・本当はね・・」
と、少し、ためらいがちに話してくれたのでした。
「本当は・・
 訪ねたんじゃなくて・・ 
 文先生、この人たちに呼び出されていたの。」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく