文青年、留学時代の思い出の女性・・のつづき

ファミリーの記事には
「恩を忘れることのない・・文先生」
と、美談として載せられていた・・話の・・真実。


  教会員であれば 誰もが知っている・・
  ”主の路程” で語られていた女性の事件。
  「文青年に恋焦がれた女性(お嬢さん)が裸で寝床に潜り込み
   最後は自殺した話」


その話の真相を一人の姉妹が語ってくれました。


「お嬢さんの話は全部ウソで
 死因も自殺ではなく病死。
 お嬢さんと文先生の関係は、
 文先生の方からの一方的な思い込みで 
 お嬢さんの方は全く相手にしていなかったって。 
 普通に、無視していたって。
 夫妻が文先生を呼び出したのは
 知り合いから教会の事を知らされて、
   ”統一教会ってところが 亡くなったお嬢さんのことを
    辱めるようなことを言っている” って教えてもらったそう。
 それから教会に 抗議してきて、
 それで、教会の方から何人かが
 謝罪に訪れたんだけど・・夫妻は
 文先生が直接 謝罪に来ないと納得できないって。
 それで文先生が謝罪に訪れた。ってことなんだって」




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・・人は予想だにしていなかった話を聞くと
  思考が停止してしまうようで・・
その場にいた全員が言葉を失ってしまいました。


私も・・頭の中では・・今の話しが・・真実かどうか・・
文先生と夫妻と どちらを信じるべきか と 迷い始めていました。
多分・・全員が
今、聞いた話が真実なのか、主の路程 で語られていたことが
真実なのか・・真実は何処に・・と、混とんとした状態になっていたと思います。
それで私たちは・・何処かに何らかの手がかりがないか と
再度、写真を食い入るように見つめました。
  写真には・・
  にこやかに微笑む文先生。(謝罪に訪れた人の顔ではない)に対して、
  (懐かしい出会いのはずなのに)不服そうな顔をした夫妻。
  三人の後ろには下宿先の建物の前と思われる板張りの塀と門。
  そのまだ後ろに少しだけ映り込んだ道路と住宅街らしきもの。
  それは整備された道路であり、整理された住宅街でした。
  それで私は 自分が講義を受けていた時に 勘違いをした ことに
  気が付いたのでした。
  
  「自分が何故、 女性の破廉恥な行為 を鵜呑みにしてしまったのか?」
  ということに。
  
  そう・・普通に育ったお嬢さんであればそのような 破廉恥 なことはしない。
  そう・・自分の恋心を伝える術が 裸 しかない・・とか・・普通は考えない。
  それに・・普通に考えて・・そのような 行動をすると・・相手の男性に
      「裸で迫ってくる破廉恥な女」 と思われて・・
      却って嫌われてしまう・・ことを心配するはず。
  乙女心としては  


      ”好かれないのはイヤだけど、嫌われるのはもっとイヤ”


  と、思って普通はしないでしょう。普通は・・
      
  それに文青年と同じ屋根の下で暮らしているので、自分の恋心を伝える術は
  いくらでもある。はず。
  朝の挨拶に始まり、弁当を作ることもできる。帰ってきたらお茶も入れられる。
  同じ年代なのだから一緒に勉強もできる。日本語を教えることもできる。
  
  そう・・思いいたることができて・・それで、
  私は気が付いたのでした。 私の最大の勘違いに・・
  それは・・
    この女性は きっといかがわしいことが日常的にあった
    そのような環境で育った・・んだ。
    (そう、思っていたことでした)
    それは・・文先生は日本で迫害を受けた。どこに行っても韓国人として
    差別された・・そのように聞いたからでした。
    それで私は勝手に・・文先生は普通の宿舎には宿泊できなかった。
    きっと・・社会の底辺と言われている ドヤ街 とか
    遊郭のようないかがわしいところでしか下宿することが
    できなかった。(そう・・捉えていたのでした)
    そして女性もそのような環境で育ったから・・
    (自分の恋心を伝える術が 裸で迫る しかない・・と、思っての行動。
     そのように解釈していたのでした)
    それが・・写真には普通の住宅街に文青年は住んでいたのでした。
    女性は・・いかがわしい環境ではなく、普通に育ったお嬢様だったのでした。
    それに・・
    ???
    もしかして・・先生は迫害など受けていなかった。
    もしかして・・先生は差別など受けていなかった。


その時の私はそのような考えに至ったのでした。      
そして・・
夫妻の表情にも納得がいきました。
  
多分・・この写真は押し切られて取ることになったのでしょう。
多分・・夫妻は写真など取られたくなかったのでしょう。


そして夫妻の予感は的中したのでしょう。
教会は教会員に対して真実を伝えるのではなく、
写した写真を利用して、
「文先生は恩を忘れない方。
 昔の恩に感謝してお世話になった方をわざわざ訪問されました」
と、美談として伝えたのです。
なので今でもこの話を信じている人が教会には存在していることでしょう。
そして・・それは・・
講義を受けた世界中の信者が今でもその女性を 
(その場面を想像して)辱めているということ。


私たちの誰もが押し黙っていました。
一枚の写真から・・夫妻から・・無念の想いが伝わってきて、静まり返っていました。
すると・・
一人の姉妹が声を荒げていいました。


「何、その話、
 厚かましい人たちね。
 教会からは謝罪に行ったんでしょ。
 それでいいじゃない。
 それを、文先生を呼びつけるなんて、
 その人達は 何様のつもり」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく