海を渡った写真・・文先生は 何故 ”告白”したのか?

文先生が生涯でウソを告白したのは2つだけ。
その一つが・・海を渡った写真。


ここで疑問なのが・・


  文先生は 何故 ウソを認められたのか?
  
ということ。


「写真のウソ」は、
文先生の立場では・・認める必要などなかったはず・・のもの。


不思議に思います。


そう・・
「写真のウソ」は、
文先生が、
認めさえしなければ・・良かったことでした。
すでに教会員の中では、過去の事となり、気にする人など
誰もいなかった、とっくに忘れ去られていたことでした。


それに、
統一教会には・・
「アベルが カラスは白い と言えば、カラスは白」
という教えがあるところ。
文先生が「この写真は私だ」と言えば・・それが、真実となるところ。
なので、文先生が最後まで「これは私だ」と言えば・・それで良かったこと。でした。


それに、
相手は朴先生。天使長・カインの立場の人。
文先生から直接、朴先生に、
「あなたは (アベル・カイン) がわかっていない」そう言えばいいこと。


私達教会員がアベルに反対の意見を言うと、
「あなたは原理がわかっていない。蕩減がわかっていない」と、
指導を受けてきたように・・
朴先生にも「これは蕩減なんだ」そう言えばよかったはず。でした。


・・?
本当に、不思議です。
・・?
文先生が何故、そうしなかったのか・・
何故、ご自身で 「復帰の大原則 アベル・カイン」をその場で
示さなかったのか・・
?・・理由については誰も 確認していませんが・・
この件で分かったことは・・
文先生には・・「アベル・カインの法則」を遵守する意志がない。ということと、
「アベル・カインの法則は真理ではない」ということを文先生ご自身が
示すことになったのではないかと思います。
   (原理には「アベル・カインを勝利すれば・・神様が働かれる基台が立つ」
    そうなっています。
    なので、それを指導するのであれば・・・
    指導する立場であるのならば・・ご自身が云われたことは
    最後まで「カラスは白」と言われたのであれば、最後まで「白だ」と、
    言い切るべきではないでしょうか。
    そしてそのうえでカインはアベルを信じ切る。
    そうすることによってアベル・カインの法則が
    成り立つ。という教えなのですから)


もし、そうでなければ・・
それがが出来なかったということは・・
「アベル・カインの法則」など意味がないものとなるでしょう。
試練を与えておいて・・試練の勝利を願うのではなく、
自分から覆すだなんて・・


この法則が真理だ・・と言いながら、ご自身が実行しないようなもの。
法則は真理ではない。と告白するようなもの。ではないでしょうか。


堕落論と祝福もそうですね。
・・本当に
孝進様の離婚と再祝福には・・本当に 驚きました。
確か、私達には・・
「祝福を壊すということは再堕落を意味しており、
 その者は メシヤでさえも救うことはできない。
 その者に 救いの道などない。
 サタンでさえサタン視する。
 その者は 生まれてこない方がよかった」
そう言っておきながら・・ご自身の息子さんは離婚に再祝福。


しかも、相手は祝福前からの恋人。
つまり・・考進さんは福福前から堕落していたということ。
・・?文先生ご自慢の霊的な力は何処に
「確か・・私達には 恋愛経験のあるものは一目でわかる。
 先生には霊界から教えてくれる」と言われていたような・・
それなのに・・自身の息子さんのことはわからない・・だなんて、
しかも、離婚に、再祝福まで与えるだなんて・・


それって・・
統一原理の全てをひっくり返すようなもの。ではないでしょうか。
   (人類の原罪は堕落にある、救いは祝福によってなされる。と、
    解かれた統一原理のすべてをひっくり返すこと。
    何があっても、絶対にしてはいけないこと)
それなのに・・
文先生にそれが出来たということは・・
文先生ご自身が 堕落論・祝福 は真理ではない。価値などない。
信用する必要などない。
そう告白したようなもの。


韓総裁も同じである。
下の二人の娘さんの相手は一般の人でしかも恋愛結婚。
多分・・二人には文先生が決められた相手がおられたはず。
なのに、それを無視しての恋愛結婚。
そのことが意味することは・・
文家・メシヤ家庭には創造原理(理想相対)も関係ないし、
堕落論(恋愛ご法度)も関係ないし、祝福(純潔を守る・離婚しない)
も関係ない。
そのことを告白したようなもの・・ではないでしょうか。