即刻、訂正をお願いいたします!・・by Ten1kokuさん

ten1kokuさん、コメントありがとうございます。
コメントより


>まず初めに、
私は、「後から 弁明」など致しておりません。


何度も申しておりますが、私は「写真のことなど、どうでも良いこと」と
一貫してコメントし続けております。
弁明など、一切致しておりません。
即刻、訂正お願い致します!


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>>申し訳ありませんでした。
少し 言いすぎ た・・とは、思っていました。
特に 卑怯 と言う言葉は適切ではなかった・・と、反省しています。


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後・・
>「写真のことなど、どうでも良いこと」


>>ということですが・・


何といいましょうか


人がウソを告白するのは 良心の呵責 が存在するからでは
ないでしょうか。


なので・・
文先生が ウソを告白された ということは 良心の呵責 があった
ということではないでしょうか。


そして、人間に良心を与えられた(良心の主体)は・・
 神様 ではないでしょうか。間違いなく。
そして、神様が人に良心を与えられた目的は
  与えた良心を通じて、
  ・・人を導いておられる。(人を導くため)
  ・・人を主管しておられる。(人を主管するため)
ではないでしょうか。
   もし、人に、「良心の呵責」が存在しなければ・・
   人はどれほど自由で悩みのない本能(弱肉強食)に従った生活を
   送ることが出来るでしょうか。


そのことを考えたら・・
良心と言うのは神様にとっても人間にとっても、
「どうでも良いこと」
にはならないように思います。
ウソの告白 イコール 良心の呵責 が、あった・・
それは、
神様が生きて働かれたことを意味している、特別なことだと思います。



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それから、
ten1kokuさんの
以前のコメントより、
>Isakuさんは、写真の事を知り、神様のように信じていた文先生が、嘘をついていたという衝撃と、裏切られたという、甚大な混迷を受けられたのではないかと、推察するのですが・・・


>>この件についてですが・・
ご指摘の通りに、私にとっては・・衝撃でした。


衝撃の1)文先生は 何故、このようなウソをつけるのか・・と。衝撃でした。
   日本にも 人を感動させる少年の写真があります。
   原爆後の焦土の地で・・妹が埋葬される様子を・・直立不動で
   それを見送っている少年の姿がアメリカ兵によって写真に残っています。
   日本人の精神性の高さが現れているとされ、原爆ドームに飾られています。  
   
   河を渡る写真もそれに劣らない写真ではないでしょうか。
   誰もが自分の事だけに必死な中、大人を背負って水の流れる河を
   歩いて渡っているのですから。
   (さすが・・韓国は儒教の国。親・目上の者を尊ぶ国民)と
   韓国の国民性を現す一枚となっていたはず。です。
   それを・・文先生は台無しにできたのですから・・人のすることではない。と。


衝撃の2)文先生は 神様を畏れる ということがないのか・・と。衝撃でした。
   この写真が出てきたのは・・アメリカでの裁判中のこと。です。
   アメリカの裁判では聖書に手を置き、誓いを立てる?と
   聞いています。
   文先生は「ウソを言いません」と宣誓している最中で・・
   ウソをついた。・・そのことが信じられませんでしたね。
   裁判と言う神様からのご加護が必要なときに神様を裏切るようなことを
   された・・と言うことが信じられなかったですね。
      文先生にとって、宣誓とは、神様とは、聖書とは・・
      ?・・意味がないことなのか・・と。そう思いました。


衝撃の3)このウソを 神様は 赦されないだろう・・と。そう、思いました。
   なので・・
   文先生がウソを告白されるまでの10年間・・
   神様がずっと・・働いておられたことを考えると・・それも衝撃でした。



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そして、私にとっては
Ten1kokuさんの「どうでも良いこと」も衝撃です。
衝撃と言うより 疑問 ですね。
教会員は何故・・
文先生の事では「神様」のことを考えられなくなるのか。と。
・・・?
というよりも・・
教会員の思考が
文先生と神様を考えると・・
神様よりも文先生を 上? に捉えているような・・
・・?
そうではないでしょうか。


文先生を 上 に捉えているから・・ウソをついたことへの告白(良心の呵責)が
あったことを・・神様が働いておられたことを「どうでも良い」と受け取るように
なるのではないでしょうか。