クリスチャンの「きまぐれ」さんへ
初めまして、
記事を読ませていただきました。
統一教会に関心を寄せてくださいまして、ありがとうございます。
昔・・み言葉を学び・・実践を始めたころに・・「既存のキリスト教は
統一教会の教えをどのように捉えているのだろう・・」と思い、
一般の教会を尋ねたことがあります。
訪ねた教会ではシスターさんが、相手をしてくれました。
最初は雑談にも応じてくれて、談話室のようなところに
案内してくれたのですが、私が統一教会の信者であることが
分かると・・
「すみませんが帰ってください。私たちは統一教会の方と話すことを
禁じられています。ですので直ぐに帰ってください」と、言われて
その後は雑談にも応じてくれず、結局追い出されるようにして教会を
後にしました。
ですので、クリスチャンの方とは永遠に話し合えない・・と思っていたのですが
こうやって・・「きまぐれ」さんのように統一教会に関心を持ってくださっている
方がおられることが分かって、うれしく思います。
私が既存の教会に訊ねたのは
「統一教会の何が異端なのか」
が知りたかったことだったのですが
私にはそれ以上に、昔から疑問に思っていたことがあります。
それは
「 何 故 、 日 本 で は キ リ ス ト 教 が
広 ま ら な い の か 」 です。
それは、子供の頃から疑問に思っていました。
というのも、私は田舎の生まれなので村には、寺も神社もたくさんありましたが
教会は一軒もありませんでした。
ですが町に行くとあちこちで「外国の伝道師の方々」が伝道の為に活動しているのを
見かけました。
中でも私を驚かせたのは・・中学生の時でした。
私の通っている中学校の全児童に(多分・・他の学校にも同様に)
「聖書」が配られたことがありました。
新約聖書だけでしたが、それでも私の子供の頃は学校の教科書でさえも
お古が当たり前の時代でしたので・・たとえ小雑誌であっても
貴重なものに思えました。
ですので、子供ながら・・日本に伝道師を送り、全校生徒へ聖書を配る・・
その行動と熱意と、なにより賭けているお金に驚いていました。
にもかかわらず・・日本での信徒数は人口の2~3%と聞いています。
私にすれば・・もっと、多くてもいいような???
そう思っていました。
ですので私にはその謎が理解できたように思えた内容があります。
それが
「 イエス・キリスト は殺されるためために来られたのではない」
という統一原理の聖書の解釈でした。
私(日本人的な感覚?)からすると・・
人を殺しておいて、その罪を問われると、
「この人は殺されるために存在していたのです」
という一般的な聖書の解釈。
その解釈は(日本人として)普通に考えて・・納得できないように・・思います。
もし私が隣の人を殺害しておいて、警察にその罪を問われた時に、
「隣の人は私に殺されるために存在していたのです」
と答えたとして、その言い訳が通用するでしょうか。
(多分・・大多数の日本人)はキリスト教に違和感を持っていると
思います。
「殺しておいてその言い訳はないでしょう」 と。
それに、
*「もし殺されることが天の摂理であれば、一番の功労者は
弟子のユダであるはず。なのにどうして裏切り者になっているのか?」
という疑問がありますし・・
それに
*「殺されるとしても、何故あれほどの苦痛を与えたのか?」
という疑問もあります。
当時の十字架の刑はかなりの拷問刑(死ぬまでの間長く苦しめる)
と聞いています。
同じ殺され方をしても・・
もっと楽な死に方があったのではないでしょうか。
あれほどの・・酷い殺し方をして・・
”神様は一人児を賜るほどに罪びとを愛された”
と言われても・・???です。
聖書にイエス様が殺されるという予言があることは知っています。
ですが予言よりも・・神様の愛を説いておられたのがイエス様のはず。
このような・・殺し方をして・・どこに神様の愛を感じられるでしょうか。
それよりも
「 イ エ ス 様 は 死 ぬ た め に 来 ら れ た の で は
な い 」
の方が納得がいく聖書解釈のように思えます。
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