昔(1970年代)の "主の路程” 

私には・・教会員の信仰の状態を表す言葉が思い浮かばないのですが・・


? 洗脳でもなく、マインドコントロールでもなく・・
何なのでしょうか。簡単に説明できる・納得できるワードは
ないのでしょうか。


  私が・・教会員に感じている不思議に思うことは色々あるのですが・・
  一番思うことは・・
    新しく出てきた話なのに・・まるで以前から言われてきているかのように
    受け入れられていく・・ことでしょうか。


例えば・・主の路程
     私が教会に来たのが・・1970年代  
     そのころの主の路程でのメインテーマは


        「文先生がいかにしてメシヤとして出発できたか?」
        「北から南へメシヤとしての第一歩を、いかにして出発できたか?」


        「文先生は三弟子を立てたのでメシヤとして出発できた」でした。


     そう・・一番力説されていたのは・・メシヤとして立つために
         文先生が三弟子を復帰したことでした。
       ・・昔の主の路程の一番は・・文先生が三弟子を従えて北から南へ
         出発したことでした。
       ・・文先生に従った三弟子とは(朴正華・金ウォンピル・高齢婦人)
         この三人でした。


不思議なことに・・出発後高齢婦人の話はすぐになくなりました。
大切な三弟子のはずが、いなくなったいきさつも、夫人を探した話もありませんでした。
夫人の話は出発の時だけで、その後はプッツリとなくなりました。


そして、海を渡った話はありませんでした。あったのは・・文先生が情報収集して得た
南韓へのルートのひとつとして出ていました。
渡った話ではなく・・文先生がいかに情報収集に長けていたかの自慢話でした。


そして1980年になってから・・
   「文先生が朴青年を背負い海を渡る」写真がでてきました。
    この写真が出てきた後、主の路程のメインテーマが変わりました。
    高齢婦人の話もなくなりました。


   文先生がメシヤである・・所以・・その証明としての 「海を渡るシーン」。
   それが メインとなっていきました。  
     文先生は朴青年をいかなる困難にあっても 「人類の代表」 として
     背負い、 「必ず救う」 と天地に約束し、
     朴青年が 「私を置いて行ったください」 と懇願しても文先生は
     メシヤとして、朴青年を時には𠮟りつけながら最後まで歩いて
     海を渡った・・
     「それがメシヤとしての覚悟でした」
     「それが文先生がメシヤであることの証明です」という話になりました。


そして現在の主の路程・・私は講義を受けたことがないので・・
詳細は分かりませんが(すみません・・ブログ記事から得た情報です)
文先生は北から南へ逃げるときに
(海を渡ったことよりも)メインテーマとなっているのが


 「サタン分立の40日期間を過ごした」


ということらしいですが・・


 (1970年代にはそのような話はありませんでした。
  当時・・ほとんどの住民は逃げ出していた状況で、残されていたのは・・
  足の悪かった朴青年とか、高齢で足手まといになるような人たちだった
  と聞いています。
  多分・・いつ戦火に巻き込まれるかわからない・一刻を争う状態で40日間を
  過ごすことは不可能だったと思います。
  確か・・数日をかけて・・弟子達を探し回って三弟子を立てた・・という話
  だったと思います)


そして・・40日間のサタン分別により文先生はメシヤとしての出発の基台が立った
ということらしいですが・・


何と言いましょうか・・


これだけ・・主の路程が変化していくだなんて・・
普通の宗教では・・有り得ない話ではないかと思います。
大切な教祖様の歴史が(イエス様にも、釈尊にも、モハメッドにもある)
教祖としての最初の一歩が・・
? 何故再臨主には一貫して語られたものがないのでしょうか。


しかも不思議なことに、そのすべてが教会員には受け入れられていっている。


まるで・・パソコンの上書きが、いくらでも・何度でも・・可能なように
教会員の認識を上から何度でも・・書き換えることができる。


やはり・・洗脳でもなく、マインドコントロールでもなく、教会員の信仰は


  「 刷り込み信仰 ・ 上書き信仰 」


なのでしょうか?
  (やはり・・私にはよく分かりません)