自分の霊性の低さに愕然としたこと

記事の続きを書く前に・・思い出したことがありましたので・・


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いつの事だったのか・・すっかり忘れていたのですが・・
確か・・
清平での文先生指導の修練会中の事だったと思います。


その日・・文先生はアボジ・ロードを歩きながら
1~2時間ほど話された後に
「何か、先生に質問ある? 何でもいいよ」そう言われました。


その問いかけに一人の男性食口が手を挙げて
「ハイ、先生。
 イエス様の事について話してください」といいました。


その問いに文先生は・・


少し斜め上を見あげ、遠くを見つめるような目をして
深いため息を吐かれました。
  その時 私は
  (この光景・・前にも見たことがある。
   あれは・・従軍慰安婦の話の時・・ じゃ・・
   あの時と同じで ウソを吐こうとしている・・?)
   そんなことを思い出していました。


そして 文先生はため息の後 少しの間を置いて・・


「・・あの男は・・可哀そうな男なんだ」


そう言われたのでした。


瞬間雷鳴が轟きました。


時刻は昼で 外は晴れ 建物の中は外と同じほどの明るさでした。


私は一瞬にして霊的な世界を見ることになったのでした。
そして
稲妻の光と共に衝撃波が伝わってきました・・その衝撃波には
強い意志が・・天の怒りがありました。


その怒りを言葉にすると・・


  ウ ソ を 言 う な ・・ って感じでしょうか。


その衝撃波には先生も気付いたようで
私にはスローモーションのようにみえましたが
先生は驚いた後すぐに自分の周囲に目を向けていました。
そして半径5メートル程を一通り見渡していたでしょうか・・
誰かを探すように・・
それで・・私も釣られてその方向に目を向けました。


すると、私の正面 文先生の向こう側に
強い光を発する人がいました。
鏡に反射した太陽光程の強い光でした。
瞬間的に色々な情報が私に入ってきました。
(まぶしい。 この人・・凄い)
(男性?・・)
(今の啓示 この人に降りたんだ)


さらに・・その人の光に呼応するように・・
周りの人の中から・・数名(女性も含めて5人ぐらい?)の方も
光を放ちました。
それは・・男性に比べると・・月のようなぼんやりとした光でした。


文先生の驚いた表情が・・あっけにとられたような・・表情に変わりました。
(言葉にすると・・「こんなことがあるのか バカな」・・)
そのような感じでした。
そしてすぐさま
「今日はここまで」
と言われて 何かから逃げるかのように部屋から出て行きました。
   (これも・・あの時と同じでした。
    以前・・韓国人向けの修練会に 人数合わせの為に私達日本人が動員されて
    文先生は 日本人が聞いているとは・・知らなかったようで・・
    意気揚々と韓国人の前で
    「日本をどうしたらいいですか?
     日本は韓国を植民地にしました。なので 日本は韓国の物にならなければ
     いけません。
     今、韓国は独島を手に入れました。次は対馬です。その次は
     九州です。そして九州が韓国の物になっても、経済が対等に
     ならなければ・・本州の半分が韓国の物にならなければいけません」
    そう 話したのでした)
その場に参加していた全ての韓国人が手を叩き 小躍りしながら
喜びました。
その姿を文先生は満足そうに見つめていましたが・・
そこに3名ほどのスタッフが飛び込んできて、文先生に
何かを告げました。
すると先生の顔が瞬時に変わり・・ひきつったような顔で端の方にいた私達日本人を
見ました。
そして、何も言わず・・その場から立ち去り・・すぐに
車で出発したのでした。
(あまりの早さに私たちの見送りは間に合いませんでした)


その時と同じでした。
都合が悪くなると・・その場から逃げだす。・・かな?



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そう言えば・・
従軍慰安婦の時は・・
一人の男性食口から


「逃げたな」


って言われていましたね。



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・・?
不思議ですが・・
この時の事をすっかり忘れていました。


と、言うよりも・・自分の記憶から消していました。
理由は・・
(思い出してみると)・・自分の霊性の低さに愕然としたからだったようです。


あの時 私には衝撃波としてしか伝わらなかったのですが
あの男性には 「天の声・メッセージ」 として伝えられていた・・と思います。
それに 
あの時 同じ場所にいながら・・私からは何の光も出ていなかったのでした。
周りで輝きを放っていた月ほどの光もありませんでした。


さらに・・私の霊的な力はその時だけで・・その場が解散となった後は
私には男性を始め誰一人として探し出すことが出来なかったのでした。


つくづく 自分の霊性の低さを・・実感しました。


自分・・足元にも及ばない・・と。
それで
落ち込んだ私は
「この啓示はあの人に降りたのだから私には関係ない」と。
「関係ないから忘れてしまおう」と。
そう自分に言い聞かせることにしたようでした。



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今 思うと・・
同じ探すのであれば・・
その方を探せばよかった・・
と、思いました。
統一教会時代の自分は常に誰かを何かを探していたようで・・
従軍慰安婦の方に・助けられた日本兵 と。
自分の根底に誰かを探さないといけない・・そんな想いがあったのかも
知れない・・
今は そう 思います。
普通は・・私のように熱心には探さないですよね。
慰安婦の人とか、日本兵を・・お金まで準備して。


多分・・
自分は霊性も低ければ・・(神様の意図がよくわかりません)
頭も悪いようで・・(もっと 物事を深く考えるべきでした)