日本人は 「 恩知らず 」 の民族なのか・・

「日本人は先生に 恩「借り」があるんだね」
そう言われて・・私は 
   日本人が 「 恩知らずの民族 」でないことを
   証明したいと思いました。


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案内された大学の一室からはすぐに「ハイ、どうぞ」の声がありました。
中に入ると最初に目に飛び込んできたのは、書籍の山に資料の山に手紙の山でした。
その量は凄まじく、部屋の壁には大きな本棚がありましたが、本が
取り出せないほどに書籍と資料がうず高く積まれていました。
(大袈裟に言うと)
本棚の前に書籍と書類が一体化して、山々が連なった連峰のようでした。
中でも目を引きつけられたのは手紙の山でした。
それらは書類の山を支えるかのように置かれていたスチールの机の上に
並べられた道具箱程の箱に入れられていました。
箱の数は5~6箱あったでしょうか。見える限りどれもが分厚い手紙で
満杯になっていました。
 それらは未開封のままになっているのと、開封されて(?用件別)に
分けられているものとがあって、その手紙の一枚一枚にはびっしりと
文字が書き込まれており、それらからは手紙の主の熱い思いが伝わって
きました。
   私がその部屋に訪ねたのは 1990年代でした。
   その時の私・戦後生まれの私にとっては・・
   戦争ははるか昔のこと・・と思っていたのに・・それらの分厚い手紙からは 
   「 自分たちにとって 戦争はまだ終わっていない 」 
   そのようなメッセージが伝わってきました。


そしてそれらの手紙の一つ一つに向き合っている方がこの部屋の主で
あることに想いが至ると・・
   日本には この部屋が一杯になるほどの
   戦争を抱えたままの人がいて、
   日本にはまだその想いを受け止める方が必要なんだ。


そう理解できました。


「こちらへどうぞ。
 統一教会の方は初めてですね」と言われて 
私は自分が結構・・失礼な態度を取っていることに気が付きました。
  (部屋の有様に驚いて思わず部屋の隅々まで見渡してしまっていました)
・・にもかかわらず、
その方はとても明るい声と態度で私を迎え入れてくださいました。
見た目は少し小柄な方で、多分兵士としては恵まれた体格ではなく
(私の父も小柄で苦労したと聞いていたので)
それなりの苦労があったのではないか・・と、察したのですが
その方は私の想いとは裏腹に・・人生の苦労とか戦争の悲惨さとかとは
無縁であるかのような人懐っこさと朗らかさで私に接してくださったのでした。


   第一印象で瞬間的に脳裏に浮かんだのは・・
   「お客様は 神様です!」
   と、言われた 三波春夫 さんでした。
   そのような雰囲気を、存在しているだけで回りまで明るくしてくれるような
   オーラのようなものを感じました。


私は想像とは全く違う印象の方だったので、最初 話しの進め方に
困ってしまったのですが
取り敢えず共通の話題として
自分の父親が志願兵だったことを話しました。


するとその方はすぐに「あなたのお父さんも、苦労されたんですね」と
優しさに包まれたような目をして言ってくださったので、私はホッとしました。
そして
 (この方だったら大丈夫。きっと分かってくださる。
  きっと統一教会の味方になってくださる)
そう思えたので、本題である 文先生 の話を始めました。


「実は文先生は終戦時に朝鮮にいて 逃げる日本兵を助けてくれて
 日本へ帰れるように手配までしてくれていたんです」と、


少し・・自慢気に話をしました。


 すると、その人の目が瞬時に変わりました。
 そして怪訝そうな顔をし、少し低めの声で
  「そんな話は聞いたことがないですね」と。
  「その話は本当なのですか」と。
 念を押すかのように 一言一言に力を込めて
 私に問いかけてきたのでした。


それは まるで 
言葉が鋭い剣に変わったようでした。
部屋の雰囲気まで変えられたかのようでした。
春から一気に冬に変えられたようでした。


 その方のあまりの迫力に
 私には・・
 続く言葉が出てきませんでした。


 その方はさらに真剣な表情をされて、
  「あなたは私の事をどのように紹介されてここに来たのか
   わかりませんが
   私は南方戦線からの帰還兵で、日本に帰ってからは帰還事業に
   携わり、その責任者だったのです。
   今もその組織は存在していて 私は全国組織のまとめ役を
   しています。
   なので、帰国に関しての情報の全ては私の所に入ってくるように
   なっています。
   ですが、私は今までそのような話は一度も聞いたことがありません。
   その話は本当に、
   本当の話なのですか」
 その方の目の表情から 怒り のような感情が伝わってきました。


そして・・
その怒りの目から
逃げる日本人に酷いことをした韓国人は何人もいた。・・という無言の
メッセージが伝わってきました。


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韓国のことわざに
「川に落ちた犬は棒で叩く」とあるように、
韓国人は相手が自分よりも下だと思うと
非道の限りを行う。ものです。
  私が韓国に慰安婦を探しに行った時のことでした。
  自分の力では探し出せそうになかったので、人を集めてもらい
  食事会を開き、その方々の前で深々と頭を下げ、
   「慰安婦の件では韓国の方々に多大なご迷惑をかけてしまい
    本当に申し訳ありませんでした。
    心からお詫び申し上げます。そして、その方を支援するために
    慰労金を持ってきました。ぜひ、その方たちの所へ
    案内をお願いします」と。心から謝罪しました。
  すると、集められた人の中から「俺、そういう人知っているぜ」と言ってくれる
  人がいました。
  私は食事会の後でその人に案内を頼みました。
  すると
  ・・その話は ウソ だったのでした。
  しかも、食事会を手配してくれた人は
  ウソがバレたのに なおも私からお金を奪おうとしたのでした。
  「持ってきたお金を俺に渡せば君の代わりに慰安婦を探してあげるよ」
  と言ってきたのでした。


私は烈火の怒りでした。


 人の金で飲み食いしていながら・・平気で ウソ を吐き
 さらに ウソ だと バレ ていながらなおも騙そうとする


 よくもそのようなことが出来るな・・と。


 私の怒りがさらに増したのは、
 そこに集められた方々が私とは親子ほどの年齢差のある方々だったことでした。
   (私は相手が年上ということで礼儀を尽くしました)
 それなのに・・子供のような年齢差のある私を平気で騙したのでした。
 たぶん
 (相手は子供同然 簡単に騙せる) と、最初から騙すつもり
 だったのでしょう。


そう・・韓国人とは平時でさえ
これほどの仕打ちができるのですから
敗戦で逃げまどっている日本人は、格好の標的だったでしょう。



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私が困った顔をしていると、その方のまなざしが再び穏やかになり、
「私はあなた方に協力できませんが、何かに情熱を持ち、
 頑張れることは良いことです」
そう言われたのでした。


そして何より・・私がその方に感銘したのは・・


  その方が韓国人に対しての悪口を一切言われなかったことでした。
  多分・・韓国人の素行は山ほど聞いてきたと思います。
  手紙の山の中にはそのような話が沢山あったはずです。
  
     「助けられた話は聞いたことがない」
            イコール
     それ以外の話は山ほど聞いた・・ということでしょう。
   
  それなのに・・そのような話は一切・一件も・一言も
  私にはしなかったのでした。


多分・・


こういう方を人格者というんだろうなぁ・・そう、思いました。
  (そして私は心の中で
   「神様 この方に出会わせてくださってありがとうございます。
    ですがすみません、私にはこの方のような生き方はできません」
   そう祈りました)
そしてこの方はウソを吐いていない・・そう、理解しました。



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その後の私は ( 助けられた人探し ) は止めました。
   韓国へ慰安婦を探しに行ったのはもっと後の事で
   その時もまだ熱心な統一教会の信者でした。


なので・・悲しいことだけど
私は・・


 恩を受けていながら黙っている日本人がいるのだ。


 日本人は 「 恩知らず 」 の民族だったのだ。


と思うようにしたのでした。


つまり・・
文先生は ウソ を言っていない。
帰還兵のこの方も ウソ を言っていない。
となると・・
ウソ を言っているのは助けられたのにそれを黙っている
日本人だ と思ったのでした。
そう・・
私はただの一ミリも
「文先生が ウソ を言っている」という発想にはならなかったのでした。