「日本人は先生に 恩(借り)があるんだね」・・by 文鮮明

確か・・この話も 主の路程 で聞いたものだと思います。
    (ハッキリとした記憶ではないのですが・・
     文先生から直接聞いたことも・・あったような・・?)
内容は・・
  終戦時の事。
  日本人が我先に中国・朝鮮から引き揚げていた時、
  先生の村を通過して行った人達がいた。
  村人の中には日本人に 恨 を持っている者達がいて
  その人達が日本人を襲うとした。
  その時、先生はその人達を「恨を恨で返してはいけない」と説得し、
  襲われそうになっている日本人の生命を助け、
  食事を与え、無事に日本まで帰れるように手配した。
  とのこと。


私にとっては 主の路程で 一番 衝撃を受けた話でした。
  (・・と、いうのも・・
   私の父が 戦争に志願兵として参加していたからでした。 
   なので・・私にとっては他人事 とは思えない話だったのでした。
   もし・・私の父が文先生に助けられていたら・・と。
   もしかすると・・
   私は文先生のお陰でこの世に生まれてきていたかもしれない・・と)
そして、この話は 日本人が受けた 恩 として後世にまで伝え、
その恩を日本人として決して忘れてはいけないし、
必ず、いつかは、
恩返しをしないといけない話である。
そう、思っていました。


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それから数年後・・
1980年代の終わりごろぐらいからでしょうか・・
日本では 霊感商法 が問題になり始めていました。


TVでは連日 ワイドショー で取り上げられ、
毎日のように・・文先生の名前が連呼され、文先生の顔が
        映し出され、声が流されました


教会ではそれらの対応に苦慮することになり、前線部隊も
厳しい戦いとなりました。
(実績も芳しくなく、部隊の指揮も下がり切っていました)


多分・・
日本の統一教会の歴史に於いては・・
(霊感商法)とは・・
最も迫害を受けた出来事だと思います。
 
私も・・何故、メシヤを打つのか。
    そのような義憤の想いがありました。


ですが・・
迫害の真っただ中ではありましたが・・
私個人としては・・別の方向からの期待がありました。
   それは・・
   文先生の名前と、文先生の顔と、文先生の声が
   日本全国に流れている。


   もしかすると・・
   TVを見た人の中から・・


   「昔、私は、この方に助けていただきました。
    あの時のお礼を言いたくて、
    私は、この方をずっと探していました」と、


    文先生は命の恩人です。


    そう、名乗り出てくる人が現れるのではないか・・と。
    そのような期待を抱いていたのでした。


そして・・
そうなれば・・
今のピンチを覆すことが可能になる。と。
そう思っていました。


私は、教会が 選んで前面に押し出していた 広告塔 としての
有名人よりも


昔、文先生に生命を助けていただきました。
 あの時、文先生に出会わなければ・・自分達一家は殺されていました。
 先生は命の恩人です」


という話の方が・・ずっと・・日本人には・・好まれる。
そして・・生命の恩人として国民の中で共感が起きるはず。
そう・・
日本人にはそのような話の方が受けがいい・・そう、思っていました。
なにより、
 日本人は絶対に恩を忘れたりはしない。
だから・・ 
 必ず・・名乗り出てくれるはず。と。
そう思っていました。


そして・・
もし・・
何らかの事情があって、名乗り出ることが出来なくとも、
教会にお礼の手紙一つでもあれば・・


「昔・・韓国人の方に助けていただいたのですが・・名前が分からなくて・・
 統一教会は 韓国発祥とのこと。探していただけませんか」


という連絡でもあれば・・
それで、全てをひっくり返すことができる・・はず。と。


そうなることを願っていました。なので、霊感商法が問題になる中でも
私個人としては・・ 希望 を持って歩むことが出来ていました。


前線で一軒、一軒、飛び込むときも・・


・・今日 訪ねる一軒のその中に・・文先生に助けられた人がいるのでは・・と。


そのような希望を抱いて歩んでいました。
  (元々・・原理を聞いたときから文先生に助けられたという人に会いたい
   と、願っていたので飛び込みはそれほど苦ではありませんでした)



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ですが・・
残念なことに・・
そのようなことは起こりませんでした。
名乗り出てくる人は現れなかったのでした。


私は・・期待していただけに、ショックでした。
講義では・・確か・・
文先生はかなりの日本人を助けたようなことを語っていたと思います。
多いときは一晩で4~5家庭を。と。
逃げる日本兵を手引きしたのは・・1度や2度ではなかった・・と。
講義では・・累計すると100人を超える人を助けたような話だったと思います。


それなのに
それだけの人が助けられているのに
・・名乗り出てくる人がいない・・とは・・


私は・・
  日本人は・・恩を忘れた民族になってしまったのか・・と。
  日本人には ガッカリ だ・・と。そう、思ってしまいました。
    (生命を助けられていながら お礼の言えない日本人だったことが
     文先生に対して申し訳ない思いで一杯になっていました)



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その後・・
私の期待は裏切られてしまいましたが・・
それでも・・
私は、あきらめることが出来ませんでした。
私は日本人が 恩知らずな人間・恥知らずの人間 ではないことを
証明したくて・・その後もずっと・・探し続けました。


すると・・
本当に・・
不思議なことが起こったのでした。
本当に不思議な出来事でした。


私に予期しない出会いが訪れたのでした。


その頃 私は VIP の渉外部門にいました。
経済の VIP ではなく、
著名人の中で、教会の味方になってくれそうな人を探し出すのが目的でした。


その方は 某大学の教授の紹介でした。
 「うちの大学で、
  戦争の記録をまとめている人がいて
  その方は 戦争に関しての全国組織のトップの方だ」と言う紹介でした。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(つづく)