ten1kokuさん・・正常性バイアス ではないでしょうか?

ten1kokukatei さん コメントありがとうございます。
コメントより
>修練会でこの写真、私も拝見しました。
後で、この写真は文先生ではないことを知りましたが、そのような状況はあったのだから、文先生の写真でなくても、大して気にもならず過ぎて行きました。


私は修練会で、創造原理、イエス路程、歴史の同時性、に感動し、その感動の衝撃があまりにも大きく、献身の道を選択したからです。写真の有無発言など、どうでもよいことです。


熱心な信者でしたので、組織の事情の中に入ると、多くの不条理や腐敗を見ることも多くなりましたし、自らも完成者ではないので間違った判断をしたこともありました。


組織は腐敗するもの、情報は権力者に都合の良いよう、操作され易いものですね。
霊界を知る者にとって、どうでもよいことです。


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 (すみません、かなりカットしています)  
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>>多分・・多分ですが・・
「写真のウソ」に対してのTen1kokuさんの捉え方というのは・・
何と言いましょうか・・多分・・
正常性バイアス 状態になっている・・のではないでしょうか。
   (何か問題が起こった時に・・「まぁ大丈夫だろう」と自分にとって
    都合のいいように解釈する・・的な
    文先生がウソをついた・・ということを認めたくない・・的な
    認めることによって自分が傷つくのはイヤだ・・的な
    感じではないかと思います)
普通に考えて、
ウソをつくというのは・・かなりの問題行為ではないでしょうか。
昔から 嘘は泥棒の始まり と言われているように。


それに、文先生の「写真のウソ」・・というのは、
  1)自分自身を騙している・・
   一番に、ウソだと知っている、ウソだと理解しているのは誰か? と言うと、
   それは、神様でも、サタンでもなく
   ウソをついた本人ではないでしょうか。つまり、ウソをつくということは・・
   真っ先に文先生自身を偽っている・・ということになるのではないでしょうか。
  2)神様を裏切っている・・
   文先生は、「私は神様から使わされた」と言われているのですから、文先生の
   ウソは神様がウソをついているのと同様なもの・・になるのではないでしょうか。
  3)側近である朴先生を裏切っている・・
   写真が載った新聞を持ってきたのは、朴ポーヒー先生。
   新聞には「少年」と書かれていたのですから。ウソは朴先生を裏切ることであり、
   同時に真実を知る人が目の前にいる ということ。
つまり、文先生は
一番目には・・自分を騙し、
次に・・神様を騙し、
その次に・・自分を信頼している側近を騙したということ になるのではないでしょうか。
まぁ・・普通の人間だと・・良心の呵責に耐えられくなるのではないかと思います。
   (なので・・多分・・朴ポーヒー先生は良心の呵責に耐えられなくて、
    文先生に確認を取られたのではないか・・と思います。 
    「この写真は先生ではないですよね」と)


つまり・・
写真のウソはご自身を傷つけ、神様を傷つけ、側近を傷つけている。
それを思えば・・どうでもよいこと には・・ならないように思います。



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>組織は腐敗するもの、情報は権力者に都合の良いよう、操作され易いものですね。
霊界を知る者にとって、どうでもよいことです。


>>これは・・反対のように思います。
  霊界を知るからこそ。
  神様を知るからこそ。
  真実であるかどうかが、
  大切なのではないでしょうか。
(もし、ten1kokuさんが神様(親)の立場でこの ウソ をみたとすれば・・)
神様(親)からすれば文先生と少年は・・兄と弟になるでしょう。
もし、「弟が人助けをしていて、その証拠としての写真が出てきたときに
それを見た兄が「それは私です」
と言えば・・神様(Ten1kokuさん)としてはどう思われるでしょうか。
  (この写真は戦争の記録係となった米兵が北から南へと 命がけで逃げる
   避難民を撮ったものです。
   当然、避難民は・・今までの全てを捨てて
   物資はもとより身内でさえも(病人・けが人・中には親もそして子供でさえ
   置いて逃げたかもしれません)
   そのように命がけで、逃げていく様子を記録写真として撮ったもの。です)
  
そして何枚もある、記録写真の中からこれが選ばれたということは・・それほど
見る人の心を打つもの。だったのではないでしょうか。
きっと、賞賛されるべき姿だったのだと思います。
誰もが自分のことしか考えられない状況でありながら自分よりも体の大きな大人を
背負っている・・しかも少年は十分な食事もしていないような瘦せこけた姿。
病人なのか?父親なのか?両班なのか?
誰を背負っていたとしても・・
写真を見た人は誰もが感動したでしょう。写真を見た統一教会員が感動したように
ですが、その称賛は、文先生が受けるべきものではありません。
少年が受けるべきものです。


人の功績を横取り(泥棒)するなんて・・浅ましいことです。卑しいことです。
・・どうでもよいこと ではないと 思われませんか?



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後・・
ten1kokuさんは不思議に思いませんか
統一教会とは・・
「アベルがカラスは白だと言えばカラスは白い」の世界です。


それなのに、この写真は、
文先生が否定するより前に・・教会から全ての写真が撤去されたのです。


原理的には、統一教会員としては、文先生の言葉を信じるべきではないでしょうか。
「写真は私だ」と言われたのですから。
なのに・・文先生が真実を話す以前に「写真はウソ」となっていました。
しかも・・不思議なことに・・
「文先生を信じよう」と言う人には会いませんでした。
「文先生が否定するまで、自分は信じる」そう言う人にも会いませんでした。


・・?
何故・・教会員はアベル・カインの法則(原理)よりも・・
真実をとったのでしょうか。


何故・・教会員はアベル・カインの法則(原理)よりも・・
真実の方を選んだのでしょうか。