tomyさん・・情報をありがとうございます。

コメントをありがとうございます。
コメントより、
>写真の件ですが、ほかの誰かがそれを発見しては主の路程で語るようになったようですが、私もその写真の出たての頃に聞いた一人でした。しかし、1・2年もしないうちにお父様自身から「違う」と言われたとの情報はすでにあり、私にも伝わってきました。イサクさんへのその情報伝達が遅かっただけでしょう。



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>「写真の件ですが、・・・主の路程で語るようになったようです」


>>情報をありがとうございます。
・・ということで、やはり、嘘だと分かっていながら
教会は主の路程で使うようになっていったようですね。
   この写真が出る前の主の路程では「海を渡った」話はありませんでした。
   あったのは、文先生一行が逃げていた時に南に行くルートの一つとして
   そのようなルートがある話があり、文先生の情報収集能力がいかに高いかの
   自慢話でした。



>1・2年もしないうちにお父様自身から「違う」と言われた


>>私が韓国語がわかり、韓国に住んでいれば・・文先生が
「これは、私だ」と、言われたのが何時なのかが わかるのですが・・
   この写真は最初、韓国の新聞に掲載されていたもので、その新聞が
   アメリカの新聞社の責任者をされていた朴先生の下に届けられ、
   朴先生が文先生にその新聞を見せられた時に文先生がそのように
   言われた・・とのことです。
    (新聞記事なので、韓国に住んでいれば・・どこかの公文書図書館?
     のようなところで
     確認が取れる・・と、思うのですが・・
     その新聞がアメリカに送られ、朴先生から文先生へと・・
     多分・・発行後一週間前後の話ではないか・・と思います)
後・・文先生はさらに、脱税の容疑で裁判中だったため、
「この写真がこのような試練の時に 出てきたということは 神様からの贈り物である。
 私の事を天が応援(証明?)してくれているということである。
 教会員は裁判に動揺することなく、私が天と共にあることを信じなさい」
と、語られた・・と、聞いています。
   (・・?・・すみません、正確な言葉は忘れました)
なので・・裁判の最も厳しいとき?1978年?ごろ だと思います。
日本の教会に写真がパネルとなって届けられたのは1979年ごろ?かな?
   (どなたか詳しい年代がわかる方がおられたら・・情報の提供をお願いします。
    ・・当時、裁判のために祈っていたので・・それほどの差はないようには
    思うのですが)


その後、文先生がダンベリーに収監されたのが1984年。ここへジャーナリストの
那須聖先生が写真が先生なのかどうかを直接確かめに行ったという話を 
ご自身の本に載せていますので
その時点でも文先生は「ウソ」を認めてはいなかった・・ということになると
思います。



>イサクさんへのその情報伝達が遅かっただけでしょう。


>>可能性はあると思います。
教会の意向としては・・隠ぺいしようとしていたのですから。
それから・・
tomyさんの1,2年後には真実が文先生によって・・と言う話は
多分、ウオンピル先生の話ではないか・・と思います。
   教会の困った時の ウオンピル先生頼み でしょうか。
   文先生に確認を取るのが 憚れる 場合は・・ウオンピル先生に確認を取る。
   ウオンピル先生はウソをつけない性分のようで・・ウソの場合は、
   ハッキリとした否定はしないのですが、完全な肯定もしません。
   「こうだったような・・こうではなかったような・・」
   と、言葉を濁すようで・・
   そこから判断する・・と 聞いています。
それで、写真はウソ。海を渡った話もウソ・・
と、昔はそのような話になっていました。


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まぁ・・
ウソをついた文先生が悪いのか、
それとも・・
ウソと知りつつ其のウソを利用した教会が悪いのか・・


まぁ・・
写真と言うのは説得力がありますから、
教会としてはとても利用価値のある都合のいい写真だったのではないかと思います。