教会の ”闇” その(2)

昔、統一教会には二つの組織が存在していました。
伝道を主とする教会部門と経済を主とする事業部でした。


その事業部に属するある会社にいたときの事です。


その会社は一人の男性教会員(後の社長)が、
数名の教会員と共にゼロから立ち上げたもので、
発足当時は既存の事業所のどこからも相手にされず、
仕入れ先の開拓から販路の開拓と、軌道に乗るまでは
かなりの苦労があったということでした。


その会社に私が配属になったのは、経営が順調に進み、
社員が100名ほどになったころでした。
そしてその頃、会社が急成長していることと、
なにより利益がかなりあるということから、
教会上層部の判断で事業を全国展開することになってました。


入って驚いたのは・・そこの会社の利益が想像以上だったことでした。
利益があることは聞いていたのですが・・
 (私がそこへ配属になったのは会計の手助けをするためだったので)
ですが・・なんと・・
利益(税金)を減らすために・・
税務署への報告書作成のための
書類作りを三度もやり直さなければいけないほどでした。
このことは法的にはアウトでしたが教会としては・・(昔はそういう方針でしたので)
それで私も三度、帳簿を書き換える手伝いをしたのでした。


なので全国展開はすぐに可能となりました。
資金も、社員も、教会側がすぐに出しました。
社員教育も原理でばっちりでした。誰もさぼる人もいなければ
ごまかす人もいません。真面目な方々ばかりです。


なのでその時ほど原理の偉大さを感じたことはありませんでした。
  (原理ほど社員教育に向いた教えはないな・・と)
そして教会が動くということは凄いことだ・・と、実感しました。
  (全国展開が数カ月もかかることなく行われたのでした)
中にいたものとしては、まさに飛ぶ鳥を落とすような感覚でした。
全ての事が順調に行っているように思えました。
  (すぐに利益も上げられてきました)


ですが・・
全国展開が成功したその後に、事件が起こったのでした。
信じられないことに、
身内同士で会社の乗っ取りが起こったのでした。
社長 VS 教会の幹部メンバーの方々。でした。


それに対して社長の抵抗は凄まじく・・
攻防戦が三度繰り返されました。
最初教会側は、社長を理由なく追い出せないことから
文先生を説得し、社長の人事をお願いしました。
そして社長は 「文先生直々のお達しがある」 ということで
先生のおられるアメリカへ招へいされました。


社長の抵抗の一度目は空港で起こりました。
飛行機に乗る直前に社長は「パスポートを家に忘れた」
と言って飛行機に乗らず、文先生の招へいを拒みました。
二度目の招へいの時は「パスポートを子供に破られた」と言って
飛行機に乗りませんでした。
そして三度目の招へいの時に・・文先生の所に行き・・そのまま
人事となりました。


その時の私には社長のことがよく分かりませんでした。
何故そこまでして文先生の所へ行くことを拒むのか
その理由がよく分かりませんでした。
   (もちろん会社を立ち上げたのは社長でした。
    会社を成功へと導いた一番の功労者は社長でした。


    ですが・・
    会社を立ち上げることが出来たのも、
    全国展開し大企業になったのも教会からの援助が
    あったからこそ。
    そもそも会社の設立の資金も人材の提供も社員教育も
    すべてが教会あってのこと)


なので私には、そこまでして社長の地位に固執する理由が
よく分かりませんでした。
なので社長の行動は私から見れば・・
「その執着心は自己中でありサタン的」 だな・・と、
軽蔑さえしていました。


ですが、その後の話は・・もっと、酷いものでした。
同じ穴の狢の話で・・ ”一匹の狢が追い出され、その後に
もっと大きな狢” がやってきたようなものでした。


社長が去ると
会社には新社長と共に今まで存在していなかった
役員というポストができ、そこには5名の人が立ち並びました。


当然・・その人たちは会社には全く関係の無い人達でした。
お金を出したのでもなく、社員として奮闘したのでもなく、
会社の設立にも運営にもなんら役にたっていない無関係の人達でした。
しかも、会社が大企業となったことで会社は株式会社となり、
株が発行され株の保有者がでてきました。


そう・・会社につぎ込まれたお金は全て献金でした。
人材も教会員でした。
ですが・・その会社の利益は役員報酬となり、株の配当金となり、
その人たちに配られ、その人たちが老後になると
その人たちは高額年金受給者となったのでした。


・・・・ (溜息です)


統一教会ほど正直者がバカを見る団体はないでしょう。
教会の中には頭のいい人達が存在し、その人達は
教会の中で上手に生きていて・・それでいながら・・
メンバーには「年金などかける必要はない」と言い
「預金は全て献金」
「借金してでも献金」
「借金の返済が出来なくなれば自己破産」
「老後は生活保護」と指導しているのですから。


多分・・言っている方には・・良心の呵責はないでしょう。
たとえ文先生に提案したのが自分達であっても
人事をしたのは先生なのですから。人事の責任は先生にあるでしょう。
そしてその後は法にのっとり、会社を運営しているだけなのですから、
別に法を犯しているわけでもないし、ましてや献金を着服しているわけでもない。
会社の役員として、株の保有者として
法にのっとり報酬を受け取っているだけなのですから。
多分・・十一条献金もしているでしょう。
入ってくる金額を考えれば痛くも痒くもないこと。
なので教会員としての義務は果たしているのですから
天から裁かれることもない。


統一教会とは何か?
多分・・
頭のいい人、生きるのがうまい人には・・ ”天国” であり、
正直者、盲人の信仰者には・・ ”地獄” を与えるところ。
でしょうか。


(過去の話です)