「 謎 」 がひとつ・・解けました

自分でも不思議に思ったことです。


「文先生に対して 失礼でしょ!」
と・・思った「主の路程」の講義中のこと・・


普段の私が受けていた・・「主の路程」は・・
文先生の苦労話に感情移入して・・ウルウル・・と
なっていたのですが・・
その時の私は・・
?・・不思議なことに・・
とても客観的に冷静に受け止めている自分がいました。


そして・・
「これ・・って、普通に考えて・・有り得ないことよね」
と、思うことがいろいろと出てきました。


一つは・・海を渡るときの話で・・
  ”先生が朴青年を背負い、水の引いた海の上を歩いていると
   ぬかるみに何度も足を捉えられそうになり、先生は其のたびに
   「全人類を背負っているんだ」と必死に耐えて歩いた。とのこと。


   そして、島に到着し、道なき道を歩いて島の反対側にいくと・・
   そこは断崖絶壁になっていて、・・引き潮でも
   水深が5メートルはあり、100人ぐらいが乗れる
   中型船が停泊できたとのこと。”


今まで・・なんの疑いもなく・・聞いていました。
ですが・・
・・?
   島のこちら側は泥が沈殿するほどの穏やかな海
   足を捉えられそうになるほどのぬかるみってことは・・
   下は泥・・ということ。
   そして・・海で・・泥が沈殿するって・・
   ?・・相当の遠浅で入江ぐらいでないと難しいのでは
   
   そして、島の反対側は、
   荒波が打ち寄せる断崖絶壁


   ・・?
   そんな・・場所って・・実存が可能なのだろうか
    (一つの島の両側で全く状態が違う地形だなんて)


   しかも・・荒波が打ち寄せる岸壁に船が ”停泊”
   ・・?
   それって・・本当に・・停泊が可能なのだろうか
    (荒波だと船が岩にぶつかる危険があるし・・それで船が損傷すれば・・
     普通に考えて ”沈没” ・・でしょう)


多分‥通常では有り得ない地形だし・・船など停泊できないところ。


あと・・
日本人による拷問が最も残忍だった・・と聞いていたので
   西大門刑務所での拷問
   (刑務官が死んだと思って裏門から文先生を放り出したところに
    ウォンピル青年と数名の信者が通りかかって先生を連れかえることができた
    先生は洗面器一杯の血を吐いた・・皆、先生は死んだと思った)


この話を私はずっと・・日本人がしたことだと思っていました。
ですが・・この時の講義で自分が勘違いしていたことに、気が付きました。
文先生が北韓に行かれたのは1947年・・
つまり・・第二次大戦で負けた日本人は引き上げて一人もいない
つまり・・文先生に一番拷問を加えたのは・・北朝鮮の人。


それに・・先生は日本人からの拷問で一番酷かったのは・・
   鶴の舞という・・
     両手を後ろ手に縛ってそこに縄を通し、その縄を天井の梁に
     通して、吊り下げる拷問・・つるされた姿が鶴のようだった。
ということでしたが・・
もし本当に・・そのようなことをすれば・・
?・・人の体は・・どうなるのか。
肩が体重に耐えられなくて・・外れるでしょう・・
そうなれば・・激痛で・・失神?・・死?
(拷問の意味がなくなるでしょう)
拷問とは・・自供するためのものであって殺すのが目的では
ないですし・・



講義を受けながら・・とても・・冷静になれている自分に驚きでした。


多分・・いつもの「主の路程」は長時間の原理講義の後だったので
頭の中で情報量が・・オーバーヒート・・状態になっていたのでは
ないか・・と気づきました。


それで・・一つの謎が解けました。


  多分・・
    教会員はマインドコントロール状態ではなく、情報量が多すぎて
    冷静になってその場面場面を理解し想像することができなくなっていた
    だけなのではないか・・と
    教会員はマインドコントロールされていない・・と


  それと・・
    どのような話でも、誇張はありますし・・粉飾もあります。
    多少の捏造があることと、文先生が再臨主であるかどうかは
    別な話・・だと思いました。