理解できない思考の持ち主・・統一教会員

って・・過去の自分のことです。
なので、正確には・・
「今となっては 理解できない統一教会員時代の自分の思考回路」
と、なるでしょうか?


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過去の私は 文先生に直接助けられた日本兵・日本人 を探し続けて
いました。
そして一人の人との出会いによって、探すことをあきらめることになりました。


その時の私が出した結論は、
「文先生はメシヤ。ウソの話はしない。
 だから
 助けられていながら感謝を忘れた・・
 恩知らずの日本人が、恥知らずの日本人がいるんだ」
でした。


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その後・・
教会から距離を置くようになって・・
改めて・・
そのときの事を振り返るようになりました。


そして・・
?・・もしかして自分は教会の教えである(アベル・カインの法則)に 
反した 行動をしていたのではないか・・ということに気が付きました。


そう・・
文先生が日本兵を助けた話は真実として語られていましたが、
そのことを 追求すること 確認すること そして
関心を持つこと自体が教会内ではタブーになっていたのでした。


そして不思議なことに・・当時の自分はそのことに何らの疑問を持ちませんでした。


そう・・
教会で真実を確かめることが何故タブーに当たるのか?


ということに、何ら疑問を持つことがなかったのでした。


( ゚Д゚)ハァ?・・今 思うと、何故その時に そのことが何を意味しているのか
ということを考えればよかった・・と思います。
世間ではマインドコントロールと言われていますが
当時の自分の 思考形態?思考回路? を考えると自分でも不思議に思います。


何故、あの時の自分は何も疑わなかったのか。と。
あの時疑っていれば・・今の自分は違った人生を歩んでいたのではないか。と。


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思い出してみると・・
私が 教会がタブー にしていることを知ったのは・・
その話を修練会で初めて聞いたときの事だった・・と思います。
  私は自分の父が志願兵だったことから、その話にとても感動したし
  興味がありました。
   (もしかしたら自分の父親が文先生に直接助けられていた可能性が
    あったかも知れない)・・と
それで、講義の後の 振り返り?反省会? の時に班長さんに
 「文先生が敗戦後逃げている日本兵を助けたという話は感動しました。
  実は自分の親は志願兵だったのです・・・・」と、話し始めました。
 すると班長さんは私の方を睨みつけるような目で
 「その話はいいから、原理についての話をして」と言ったのでした。
 私はその時の班長さんの表情と態度から
 (この話は教会ではタブーになっているんだ)
 そう理解したのでした。


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 本当に・・
 不思議なことに・・
 教会ではこんな美談な内容が・・話題にすること自体 
 タブーになっていました。


 それに・・私の親が戦争体験者と言うことは
 その頃の教会員のほとんどの親が戦争体験者だったということ。
 なので・・もし習練会に参加している修練生にアンケートで
 「この中で親が出兵して朝鮮方面で戦ったことのある人・・」
 とでも聞けば・・中から名乗り出る人がいた可能性も無きにしも非ずでした。
 例えば・・「その話 親戚の人に聞いたことがあります」とか。
 ですが、教会でそのような人探しをしたことはありませんでした。


 そう・・教会は教会員の中で調べようとすれば文先生と縁があった人を
 探し出せる可能性はあったのに、そのようなことはしなかったのでした。


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・・?
人探しで思い出したのですが・・
・・・
従軍慰安婦の話もそうでした。
昔は従軍慰安婦のような話はありませんでした。
1980年代に吉田証言が出て、
教会では
1990年頃からそれらに関する色々な話が出てきました。


そして、韓国では
江利川さんを中心に韓国へ嫁いで行った日本婦人によって
韓国全土でお詫びの集会が開かれるようになりました。
  人々を集めて日本婦人がチマチョゴリを着て
  土下座をして謝り、韓国語で韓国の歌を歌う・・とのこと。でした。
日本人は子音の発音が下手なので
外国人が聞くと・・まるで子供が歌っているように聞こえるそうで
・・韓国人にはそれがとてもうけた と聞いています。


そんなお詫びの行脚を教会は1990年頃からしていたので、
今で・・30年程になるでしょうか?


そして30年間で得た結論・・
それは・・


統一教会は 30年間もかけたのにただの一人も 従軍慰安婦だった人を
見つけ出すことはできませんでした


ということです。


(ベトナムに行くと韓国人の蛮行の後はすぐに分かる・・と聞いています。
 地域の人が「絶対に忘れない」と石に刻んで残しているから・・とのこと。
 それなのに・・
 韓国では慰安婦は20万人もいたというのに・・
 教会ではただの一人も見つけ出すことができませんでした。


 それは・・多分・・
 「本当に蛮行があったかどうかは現地に行けばすぐに分かること。
  私は自分の国で経験してきている」
  by・・エジプト人のフィフィさん
 と言うことだと思います)


まぁ・・正確には見つけ出そうとしていなかったので
見つけられなかった・・ということだと思います。


つまり・・
教会の方針は
  「日本人は従軍慰安婦の方に
   謝罪をしないといけません。
   その罪を清算するために献金をたくさんしないといけません。
   ですが・・従軍慰安婦だった人を探してはいけません」


  「文先生は日本人を助けました。
   なので日本人は先生に恩を返さないといけません。
   恩を返すために献金をたくさんしないといけません。
   ですが、助けられた人を探してはいけません」



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本当に・・
何故・・教会では、タブーになっているのかをもっと深く考えたら良かったと
今は思います。