文先生の嘘・・教会の 卑怯さ を実感したこと

文先生には数々の ウソ がありますが・・
 (学歴詐称等・・)
そんな中で、文先生ご自身が、
正式に ウソ だと認めた嘘が二つあります。


ですが、どちらも・・教会としての公文書での発表はありませんでした。
なので、教会員の中には ウソ だったことを先生が認めたこと自体を
知らない人がいるのではないかと思います。


当然・・
ウソをついた文先生が一番悪いのですが・・
文先生がウソだと認めたのに対して
正式に発表しない教会の方針もどうかと思います。


・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・


ある地方にいたときの事です。
その日、中央から人が来ることを朝の会で知らされました。
み言葉を語ってくださるということで、前線の部隊は早く上がることになる
かもしれないと、伝えられました。
その時の私は前線部隊だったので、み言葉を楽しみにして出発していたのですが
昼頃 用事があって館(宿舎)に戻っていました。
戻ったついでに遅めの昼を食べようと、食堂に行くと
カーテンで仕切られていたスタッフ室から声が聞こえてきました。
私は邪魔になってはいけないと、音を立てないようにしました。
聞こえてきた声と話から・・教会長と中央からの人のようでした。
「お話は全員に聞かせたほうがいいでしょうか?」
「いや、知っている人だけでいいんだ」
「それは少しわからないですね。少ないとは思うのですが」
「だろうね。もう20年ぐらい前の話になるからね
 それにいまさら、
 ウソ だったと聞いても皆、どうすることもできないだろうし」


仕切りがカーテンだけだったので話し声が筒抜けでした。
   要約すると・・ 
   文先生が例の写真の件で 「自分ではない」と
   認められたことを、教会員に伝えに来たとのことでした。
  (朴ポーヒー先生から「この写真は先生ではないですね」と問われ、
   文先生が「そうだ、私ではない。それがどうした」と憮然とした様子で
   答えた)とのこと。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


文先生が「これは私だ」と言われた写真が ウソ だというのは
私が所属していた教会では直ぐに気が付いたことでした。
ですがその他の教会ではどのように気が付いて行ったのかは 知りませんでした。
ですが・・
霊の親からの情報だとか、信仰の仲間からの情報で、教会によって
写真が撤去された時期はまちまちだったようでした。
只・・
文先生が 「ウソだ」と認められるずっと前から全国の教会からその写真が消えて
いっていたのは事実だったと思います。
そして、誰もが ウソ だと理解する写真を文先生が認めたのは
ウソ をついてから20年後だったようです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「・・今はもう誰も知らないのですからこのままで
 いいんじゃないでしょうか」
「そうだね。
 知らない人に説明するのも大変だし。
 知らない人が知ることの方が却って問題に
 なる可能性があるだろうし・・
 じゃ、そういうことで、帰るわ」
「はい、分かりました」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


なんといいましょうか・・教会が 砂上の楼閣 のように思えました。


多分・・全国の教会のあちこちでこのようなやり取りがあったのだと思います。
聞こえてきた私には・・中央からの方が言葉巧みに真実を伝える必要がないように
仕向けていたように感じました。
信仰歴20年以上になる教会員が何名ぐらいいるか・・それを確認してから
話を始めていたので・・それが中央の目論見であることが理解出来ました。
  あれほど大々的に宣伝して、全国の教会に山ほどの写真を送ってきて、
  しかもジャーナリストの那須先生が写真に感動して、そのことを記事にした
  「救世主現る」「牢獄の救世主」と二冊の本まで出されて・・
  その中に「私もジャーナリストの端くれ、実際に確認をとれたことしか
  記事にしない」と言われ、文先生の収監されている牢獄にまで足を運び、
  文先生から写真が本人であることの確認を直接とった。だから、この写真は
  真実である。そう書かれているのに・・
ウソだと判明しながら、公表もしないとは・・
教会は那須先生も教会員もバカにしているのでしょう。
ウソをつく、だますというのはそういうことでしょう。


・・・・・・・・・・・・・・


本当に・・
ウソをついた文先生が一番悪いのでしょうが・・
それを公表もしない教会も同罪ではないかと思います。
そして・・公表されていないので・・今でも信じている人がいるのでは
ないかと思います。
tomyさんとか現役の教会員の方々に聞いてみたいですね。
写真、今も信じていますか? と。