「我が神、我が神・・・」 イエス様の祈り

「我が神、我が神」というイエス様の祈りがあることを教えてくれたのは
統一教会でした。
  (私が育った田舎にはキリスト系の教会が一軒も無かったので
   聖書(実物)もイエス様の(歩み)の事も この祈りがあることも
   知ったのは統一教会でした)


   ・・なので・・
   イエス様に出会えたのは統一教会のお陰なので
   そのことにはとても感謝しています。
    (文先生が再臨主か否かは別問題として)


そして・・


私にとってはとても遠い存在である神様を
「我が神、我が神・・」と
呼び掛けられる 神様とイエス様 の関係にとても憧れました。



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霊界での戦いの続きです。
「この世界は私のものだ」
文先生のその言葉が私にとっては戦いの分岐点になりました。
私の中での怒りが剣となり文先生を少しずつ押し返す事ができるようになりました。


  大砲のように飛んできた岩石にも 
  機関銃のように飛んできた石礫にも
  「とても無理」と逃げ帰った稲妻にも 


  持っている剣で戦うことが出来るようになりました。


ですが・・それでも・・
反撃が出来るようになっても・・
私には「勝利する」 「勝利できる」という確信を持つことは
できませんでした。


(少しでも怯むと・・直ぐに現実世界に戻されていたので)


それほど文先生との間には圧倒的な力の差がありました。
そして戦いが厳しくなればなるほど・・
私にはこの戦いの終わりが見えなくなっていました。


そんな戦いの繰り返しの中・・


「自分の弱さから逃げたくない。
 絶対に勝ちたい」


その想いが戦うたびに強くなり・・
より深い祈りとなっていきました。


そして・・
不思議なことに・・


最後は・・
あっけなく訪れたのでした


あまりにも突然そうなったので
私の中では文先生に勝利したという実感はありません。


?・・・
その日 私はいつものように
「今日こそは絶対に引かない」自分自身にそう言い聞かせて
いました。


そして
「神様、神様、
 私の願いに答えてください」
そう呼び掛けているうちに私は さらに深く入り込んだようで・・
意識せずに


「神様、神様、・・私の神様、私だけの神様・・」


そう祈っていた(叫んでいた)のでした。


私からそのような祈りの言葉が出てくるとは思いもしなかったので・・
自分でも驚きでした。


なので・・今でも神様にもイエス様にも申し訳なさで一杯なのですが・・
無我夢中でそう祈ってしまったようでした。


そして・・
そのことによって
私は文先生に 勝利した・?・?・?ようです。
  (私の中では全く覚えがないのですが・・)


不思議・・


です。


私が見た最後は
祈りの言葉が光となり・・
私自身の中からも光がでてきて・・
   多分・・
   その光が私を取り囲んでいた全てを破壊したのだと思うのですが・・
私自身は
その光があまりにまぶしくて・・(あたり一面 光で何も見えなくなり)
まぶしさで目をつぶった瞬間
現実世界に戻っていたのでした。


なので・・
その時・・
何が起こったのか・・
光が何処へ行ったのか
光が何を成したのか
私は最後の闘いの 最後 を見ていないのでした。


そして・・


次に霊界に行った時は・・
そこは全く違った世界だったのです。


広い広い・・
何処までも続く緑の草原の丘の上に私は立っていたのでした。


いつものように真っ暗闇での戦いを覚悟していた自分にとっては
青天の霹靂 でした。