文先生の十字架・ 勝利の証しの ペンテコステは・・!

享進様の2012年8月26日の講話によると
文先生の闘病生活は まるで十字架に架けられているようだ・・とのこと。
説明を聞くと・・
   お父様は口からホースを入れていて、
   それがどれほど苦しいことか。麻酔が必要なほどである。
   とのこと。
   
   そして、苦しみから暴れないようにお父様は両手を縛られていて、
   体には生命維持のために13本もの管が通されている。
   とのこと。
   
   そして、その管の為に、お父様はベッド上で身動きが取れないように
   されており、ベッドに縛りつけられているのも同然のようなその姿は 
   まるで十字架上のイエス様のようである。
   とのこと。
   
   さらに、イエス様の十字架は数時間で終わったのにお父様の場合は
   すでに、10数日に及んでいる。
   とのこと。
   
   今のお父様は楽に死ぬこともできなくなっている。
   とのこと。


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文先生の聖和までには・・
十字架がありました。
多分・・その闘いは
壮絶な戦いだったでしょう。
  (私も、胃カメラを飲んだことがありますが 口から喉に異物を
   通すときの苦しさ・・体が強烈な拒否反応を示します。
   それに、文先生は強制的に肺に空気を送り込まれていたことから
   肺が不自然な動きになっていたそうで・・
   見るからに苦しそうだったとのこと)


そして、
文先生の十字架上での苦しみは
一日24時間、休むことなく、
2012年8月13日の深夜から始まって
2012年9月3日の未明まで
続きました。


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その後、
文先生の聖和式にはたくさんの方が参列してくださいました。
中には・・
多分・・
ペンテコステを期待していた人もいたでしょう。


ですが・・ペンテコステは起こりませんでした。


聖和式後にも、
教会にはたくさんの人が集まり、
礼拝時には人であふれかえっていました。
ですが・・その光景は・・わずか1カ月ほどでした。
ペンテコステの起きない教会からは潮が引くように人が離れていきました。


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何故、ペンテコステが起きなかったのでしょうか。


イエス様のときのペンテコステの 立役者は マグダラのマリア でした。
マグダラのマリアがイエス様の復活(勝利)を誰よりも力強く宣言したのです。


では、
文先生にとっての マグダラのマリア とは誰になるのでしょうか。
   堕落がアダムとエバで行われたように復帰もアダムの勝利だけでは
   成されません。エバの勝利が必要でした。
イエス様の十字架の勝利も証し人(エバ)が必要でした。
イエス様の勝利と、マグダラのマリアの証し(エバの勝利)があって、
ペンテコステが起こったのです。


マグダラのマリアの使命を担っていたのは・・お母様でしょう。
  マグダラのマリアと同様に文先生にもっとも身近で侍り、十字架の最後を
  見届けた人・・とはお母様しかいません。


文先生は十字架に架けられました。文先生は最後まで戦い切りました。
ですが、文先生の証し人となるべき方が
その使命に生きることが出来ませんでした。
  お母様の自叙伝では、
  最後の十字架上での文先生の闘いには 一言も触れていません。
  最も十字架とその勝利を証ししなければいけないお母様が
  文先生の十字架を一言も証ししていないのでした。


多分・・
ペンテコステは用意されていたでしょう。
何故なら・・
ペンテコステの為に聖和後、教会は人であふれかえっていました。
それは・・
文先生の十字架の勝利があったからでしょう。その勝利にによって人々を集める
基台がなされたのでしょう。
ですが・・
心霊復興のための証し人が口を閉ざして、証しをしませんでした。
なので・・
用意されていたペンテコステは起きることがなかったのでした。


そして・・
  使命を託されたものが使命に生きることが出来なかったとき
  その摂理は失敗したことになるでしょう